“方丈記”の世界観を現代に反映させてみる

2023年12月下旬に青山ライフ出版から全国書店で発刊される『情報の運び屋(上巻)情報の路(みち)」(大崎俊彦著 1,350円+税)と「情報の運び屋(下巻)情報の詩(うた)」(大崎俊彦著 1,350円+税)の情報、第4弾です。

本書では「人類は情報の運び屋である」と提言するが、その主張の骨子は、
鴨長明の随筆“方丈記”の世界観と奇妙に一致している。

『情報の運び屋』の著者は、鴨長明“方丈記”の一部を現代風に書き換えてみた。
800年の歳月を乗り越えて、そのまま活き活きとした姿となって、情報たちが非消耗性や耐久性を発揮して蘇(よみがえ)ることに気づいた。
そこで“現代版随筆方丈記”として改作、加筆などによる再生を試みた。

その部分を紹介する。

———————
「ゆく人の流れは絶えずして、しかも、もとの人にあらず。ネオンまたたく店などは、かつ消えかつ新装して、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、サラリーマンと企業なども、またかくのごとし。

世界の都の東京に、社屋を並べ、市場を争へる、高き収益、いやしき地位争い、企業の競争は、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし企業はまれなり。

あるいは去年倒産して今年管理会社となれり。あるいは企業買収されて系列会社となる。社員もこれに同じ。ビル街も変わらず、サラリーマンも多かれど、いにしえより見し人は、二、三十人が中に、わずかに一人、二人なり。

朝に出社し、夕に退社するならひ、ただ情報の運搬屋にぞ似たりける。知らず、入社しリストラされる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の職場、誰がためにか収益や売上に心を悩まし、何によりてか人生を喜ばしむる。

その、社員と会社と無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは株価落ちて株券残れり。残るといへども紙屑となりぬ。あるいは市場しぼみて株価なほ消えず。消えずといへども終値を待つことなし」

「また、社員と経営者が無常を争ふさま、いはば労使紛争・内部告発に異ならず。あるいは社員辞めて企業残れり。残るといへども市場やマスコミにたたかれる。あるいは企業しぼみても社員なほ消えず。消えずといへども無給の給料日を待つことなし」

随筆“方丈記”【原文】は以下

「ゆく河(かわ)の流れは絶(た)えずして、しかも、もとの水にあらず。淀(よど)みに浮ぶ 泡沫(うたかた)は、かつ消えかつ結(むす)びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と住家(すみか)と、またかくのごとし。

玉敷(たましき)の都のうちに、棟(むね)を並べ、瓦(いらか)を争へる、尊(たか)き、卑(いや)しき、人の住居(すまひ)は、世々を経て尽きせぬものなれど、これを真(まこと)かと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
あるいは去年(こぞ)焼(や)けて今年は造り、あるいは大家(おおいえ)ほろびて小家(こいえ)となる。住む人もこれに同じ。處(ところ)も変わらず、人も多かれど、古(いにしへ)見し人は、二、三十人が中に、僅(わずか)に一人、二人なり。

朝(あした)に死に、夕(ゆうべ)に生まるる習(なら)ひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、何方(いづかた)より来たりて、何方(いづかた)へか去る。
また知らず、仮の宿り、誰(た)がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

その、主(あるじ)と住家(すみか)と無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。
あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。
あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つことなし」

情報の運び屋 上巻 情報の路

情報の運び屋 下巻 情報の詩

情報の本質は、信頼にある

2023年12月下旬に青山ライフ出版から全国書店で発刊される『情報の運び屋(上巻)情報の路(みち)」(大崎俊彦著 1,350円+税)と「情報の運び屋(下巻)情報の詩(うた)」(大崎俊彦著 1,350円+税)の情報、第3弾です。

本書では「情報の本質は、信頼にある。お互いに信頼し、お互いの違いを、お互いに理解し認め合って、平和の実現と維持こそ、われわれ人類の究極の責務だ」と提言しています。

われわれは“情報の運び屋”という客観的立場に立ち、お互いの違いを、お互いに理解し合い、お互いに認め合って、平和で真に豊かな多様性に満ち溢れた情報の森で覆われた世界を実現し、これを維持するのが責務である。

という、主張はすばらしいです。

単なるきれいごとの主張ではなく、これができないと、どんなことになるか、歴史に学ぶこともできますし、日々のニュースでも目にしています。

「情報の運び屋」の「(上巻)情報の路」の第2章【情報の悲】;情報は情報を食べて生き抜く、第8節.原子爆弾投下の悲劇情報の中で、下記のように表現しています。

その部分を一部抜粋し、紹介します。

———————
敵国の大型爆撃機一機は2機の観測機を従え、約35万人が生活していた広島の街の上空に侵入し、高度9千メートルから人類史上初の原子爆弾を、現在は平和祈念公園となっている爆心地へ向け投下したのだ。

この原子爆弾は、投下から43秒後、地上600mの上空で、眼もくらむ強烈な閃光(せんこう)を放って大爆発を起こした。炸裂(さくれつ)した瞬間、小型の太陽の如き灼熱(しゃくねつ)の火球(かきゅう)となり、火球の中心温度が摂氏100万度以上にもなった。そして一秒後には、最大直径280mの大きさになり、爆心地周辺の地表面温度は、3,000~4,000度に達したと推定されている。

この原子爆弾の大爆発と強烈な放射線及び猛烈な爆風は、そこにいたあらゆる生き物を焼き殺し、そこにあったすべての構造物を破壊し、焼き焦げた影を残した。そして立ち昇るきのこ雲の下では、つい先程までささやかな夢と希望と暖かさに包まれた家庭や、貧しくも心豊かに生きる人達が棲んでいた街が、一瞬にして瓦解(がかい)し阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄になった。

次々と数多くのご遺体が荼毘(だび)に付されていくが、その人骨を、埋葬する場所もなく、人骨が瓦礫(がれき)の中で雨ざらしになっている。赤黒く焼け爛(ただ)れた手に、焼けた腕の皮が、黒いボロキレのようにぶら下がってヒラヒラしていた。そして最大の悲劇は、こうして逝去(せいきょ)される人々は皆、家族や友人や知人の誰一人として立ち会うことなく、一人寂しく死に旅立っていくことだ。

人生と情生(じょうせい)の終着駅で、その家族や親戚、知人や友人など、本人を知っている人が、誰もいないところで…、唯一人寂しく他界していく姿は、この世に情報の運び屋として生まれ育った人生、その情生の総決算である終着駅での最大の悲劇だ。

情報の運び屋 上巻 情報の路

情報の運び屋 下巻 情報の詩

人類は情報の運び屋であり、情報は多様性を必要とする

今回も、2023年12月下旬に弊社から全国書店で発刊される『情報の運び屋(上巻)情報の路(みち)」(大崎俊彦著 1,350円+税)と「情報の運び屋(下巻)情報の詩(うた)」(大崎俊彦著 1,350円+税)について紹介させていただきます。

本書は、「人類は情報の運び屋である」という非常にユニークな思想を元に書かれた物語です。「情報というものは、多様性がなければ生きて行けない。人種や民族、国家や経済体制、政治や宗教等の多様性は、分断の壁ではなく、情報の努力と進化の結晶であるから、それを理由に争うのは本末転倒である」と訴えています。

その部分をどのように主張しているのか。
「情報の運び屋(上巻)情報の路」の第2章から一部抜粋し、紹介します。

———————以下、抜粋
人種や民族、国家や経済体制、政治や宗教、言語や生活習慣、思想や主義主張などのあらゆる違いは、分断の壁ではない。これらの違いは、情報たちそれぞれが直面した環境の変化に適応しながら生き残り、そして生き残った情報たちが汗と涙の努力と、創造と進化を遂げた結晶とも言うべき素晴らしい多様性の成果である。
情報は、多様性がなければ生きて行けない。つまりあらゆる違いは、これまで激変する環境の変化に適応しながら生き残り続けた、情報たちの足跡とも言うべき素晴らしい特長なのだ。

従って情報の運び屋たる人類は、こうした人種や民族、国家や経済体制、政治や宗教、言語や生活習慣、思想や主義主張など、あらゆるお互いの違いを、お互いに理解し合い、お互いに認め合って、その違いを融合させた雑種強勢ともいうべき多用性溢れる情報の森造りを目指さなくてはならない。その情報の森に、あらゆる分断などの壁を超越した、平和で豊かな人類社会が構築されると主張しているのが本書だ。

風を身情の肌で感じるがよい。
風は自由にして爽やかで、
風は山や森や荒野の壁を越え、
風は人種や民族や国境も超えて、
風は憎悪を吹き去りながらも、
風自らは汚れることなく爽やかである。
風は大自然の恵みも乗せて、
風は種を育みながら吹いてゆく。
なぜ、情報運搬屋の人類たちは、
風になりきれず争うのだろうか?

水を身情の口に含んでみるがよい。
水は自由にして清らかで、
水は雨や川や海流の壁を越え、
水は言語や文明や思想も超えて、
水は汚れを飲み込みながらも、
水自らは汚れることなく純粋である。
水は情報たちの期待も乗せて、
水は命を育みながら流れて行く。
なぜ、情報運搬屋の人類たちは、
水になりきれず闘うのだろうか?

時を身情の鼓動で刻んでみるがよい。
時は自由にして媚びずに、
時は音や光や歴史の壁を越え、
時は宗教や文化や価値観も超えて、
時は過去を美化しながらも、
時自らは乱れることなく正確である。
時は過去の想い出も乗せて、
時は夢を育みながら刻んでいく。
なぜ、情報運搬屋の人類たちは、
時になりきれず戦うのだろうか?

情報の運び屋 上巻 情報の路

情報の運び屋 下巻 情報の詩

人類は情報の運び屋であり、過去と現在の延長上に、われわれの未来はない

2023年12月下旬に『情報の運び屋(上巻)情報の路(みち)」(大崎俊彦著 1,350円+税)と「情報の運び屋(下巻)情報の詩(うた)」(大崎俊彦著 1,350円+税)が発刊されます。

「人類は情報の運び屋である」という非常にユニークな思想を元に書かれた自伝的物語です。

「“情報の運び屋”は、生まれる時代と場所を選べない。
しかも過去と現在の延長上に、われわれの未来はない。」
この自明の理を基軸にした自伝的物語は、これまでの物質とエネルギー文明偏重の「物質文明時代」から「情報文化時代」へ価値観をシフトさせ、未来の立ち位置から現在を視座(しざ)転換(てんかん)して、人類社会が直面している諸課題の解決に取り組む必要性を訴えています。

「情報の運び屋」の「(上巻)情報の路」の第2章【情報の悲】;情報は情報を食べて生き抜くの中にある、一部を抜粋し、紹介します。

———————

かつて戦争という死に至る病気に取り憑(つ)かれた軍人という名の情報運搬屋の人達が、国政を動かす軍国主義の国があった。その国は、御国(おくに)のため天皇陛下のための戦争という美名の下で、罪なき人を殺戮(さつりく)し情報を抹殺(まっさつ)し、その未来を奪っていった国であった。

しかもマスコミ商業主義者達も、マスコミの理念や信念を放棄し、販売部数を伸ばすべく、富国強兵、植民地拡大の記事を書きまくり、その国民達も戦争正当化街道や、軍国主義礼賛(らいさん)橋造りに協力していた。

当時の西欧列強国は、アフリカ・アジア各国を植民地化して、その国の資源や冨を収奪(しゅうだつ)して西欧に持ち逃げし、奴隷(どれい)を作り、その民族と情報を抹殺(まっさつ)して、寡婦(かふ)を作っていた。

悲しいことに情理(じょうり)の国も、西欧列国の白人と同じ植民地化施策をとり、同じアジアの同胞(どうほう)と情報たちに、陳謝してもしきれない多大な被害と犠牲を強いる暴挙を展開していく。そしてついに、狂気が跋扈(ばっこ)する第2次世界大戦という嵐が、赤い地球全体を飲み込んでいった。

この嵐に巻き込まれた一般市民の戦争犠牲者数は、全世界の死亡数で約6千万人以上、アジアだけでも約2千万人以上、そして日本人も310万人を超える人々と、その情報運搬屋に託された情報達が死滅したと推定される。

そして現在も国際紛争や民族闘争、宗教紛争等による戦闘やテロが頻発(ひんぱつ)し、今もロシア軍はウクライナへ侵攻し続けており、イスラエル軍はハマス組織壊滅(かいめつ)の名のもとにガザ地区に侵攻して、罪なき住民や女性と子供たちまで殺戮(さつりく)し続けている。

緑の地球が、人口爆発で、悲鳴をあげている。
青い地球が、温暖化の熱で、もがき苦しんでいる。
赤い地球が、絶え間なき紛争で、血を流し泣いている。

———————抜粋ここまで

以上のように、とても熱い著者の想いが表現されています。

情報の運び屋 上巻 情報の路

情報の運び屋 下巻 情報の詩

インタビューで残す自分史

自分史を書いて残す、というのは、自分にとっても、
また残された人にとっても、とても大きな意味のあることです。

これについて異論のある人は少ないと思いますが、
実際に書いている方はどれくらいいるでしょうか?

実感では、かなり少ないと思われます。

そもそも文章を書くのは大変で、そのような習慣のない人にとっては、長い文書を書くのは至難の業でしょう。

しかも自分のことを書くというのは、文章が得意な人であっても、
さまざまな想い、配慮、気遣い、こだわりなどが交錯して、さらに難易度が高くなる面もあります。

そうこうするうち、体力も年々衰えてきます。

そんなわけで、
貴重な体験、想い、知恵などを伝えたい、残したいという気持ちはありながらも、自分史という形で、残される例は、少ないのだと思います。

そこで頼りになるサービスが生まれました。

インタビュー自伝タイプ」です。

「自伝を残したい、でも文章は書けない」という方のために、専門のライターが訪問、インタビューして執筆し、デザイン、編集、校正から印刷・製本まで、オールインワンで出来てしまうものです。

https://aoyamalife.co.jp/jihi/type_lifestory.html

「自分のことなど残してどうなるのか。自己満足にすぎないのでは?」
と考える人もいるかもしれません。

自分の視点で考えればそうかもしれません。
けれども、子、孫、曽孫、の立場で考えると、どうでしょうか?

自分の親や祖父、曾祖父にはどのようなルーツがあり、どのようなつながり、考え、想いで生きてきたのか、それが今の自分にどのようにつながっているのか……。
自然な気持ちとして、知りたいです。

そして、それを知ることで、自分に関わる子孫の心に、なんらかの助けになるとしたら、それは素晴しいことだと思いませんか?

損得で考えない藤井八冠

10月16日の日経新聞に
興味深い記事が載っていたので紹介します。

藤井聡太八冠に、王座のタイトルを明け渡した
永瀬拓矢前王座のインタビュー記事です。

永瀬前王座は、藤井八冠のすごいところとして、
集中力と、損得で考えないところ、と言います。

それは「人間をやめている」ように感じられるほどだと。

藤井八冠は、イベント出演といった対局以外の仕事を断って
ベストを尽くすのではなく、頼まれたら全部やる。
その上でベストを尽くす。

普通はパフォーマンスを発揮するために、余計な仕事を減らすなど、
環境を変えようとするが、
そういうことをしないのが永瀬前王座には、驚きだった、
ということが書いてありました。

昔、ある作家のドキュメンタリーを見た記憶が蘇りました。

その私小説作家(名前は忘れました)は、文学の鬼を自認しており、
よい作品を残すために、生活のあらゆる雑事を排除する環境を整えました。

よい作品を書くためには、雑用仕事はできないから
生活費を切り詰める必要がある。
そのために、家賃の安い公営住宅に住む。

そして、自分が机に向かうと、
奥さんは気遣って、何も言わずに家を出る。

そんな環境を築いたのですが、インタビューに答えて言うには、
「環境が整いすぎて書けなくなってしまった」

そんな内容でした。

藤井八冠にとっては、損得を考えずに、
イベント出演などを受けることが、逆によい刺激や気晴らしになり、
それがここ一番の集中力につながっているのかもしれません。

なぜ自費出版なのか?

なぜ自費出版なのか?
HPに私の考えを記しました。
もう少しかみ砕いて記すと以下のようになります。

かつて出版は一部の著名人でなければ難しいものでした。
特別な才能がある人だけが出版できる。
多くの人がそう思っていましたし、私もそう思っていました。

けれども、時は流れ、時代が熟するにしたがって、
それは幻想ではないかと思うようになりました。

誰もが才能を持っています。
才能のない人などいないと思うようになりました。

本を書きたい、創りたい、出版したい。
そう願うすべての人が出版できる社会にしたい。
そうなると思っています。

それにより、これまで埋もれていた膨大な知恵、
知識、気づき、感動を多くの人に伝え、残すことができます。

青山ライフ出版は人智を整理し継承する会社です。

最初に情報があった

これは思いつきですが、
最初に情報があったのではないでしょうか。

現在の宇宙論では、
宇宙は無から突然、ビッグバンによって
宇宙が誕生したと説明しています。

この説明では、無から有(物質)が生まれ、
その有の中から、さまざまな偶然によって
われわれが生まれたように思ってしまいます。

しかし、この説明には無理がある。
スマホや時計が、50億年後に発掘されたとして、
偶然にできたものと認識されるでしょうか?

こんなに複雑なものが偶然にできるはずがない。
意図があり、設計図があったからできた。
そう考えるのが自然なのです。

スマホより遙かに複雑な人間が、
物質界の偶然の繰返しだけで生まれたと
考えるのはもっと無理があります。

よって、最初に情報があったのです。
将来、人間やその後に続いていくものが
生まれるような情報があった。

そこから、ビックバンによって時空や物質などが生まれた、
と考える方が自然ではないでしょうか?

『トヨタは「鉄」、MINIは「楽しみ」を売っている  もったいない!  日本企業が気づいていない経営と戦略問題』

こんにちは。

5月18日、日経新聞に

『トヨタは「鉄」、MINIは「楽しみ」を売っている  もったいない!  日本企業が気づいていない経営と戦略問題』

の広告が出ました。

一頃はコングロマリットというものがもてはやされていた感がありますが、単になんでもかんでもやるのではなく、企業というものは、やはり戦略が必要。

その企業に戦略があるかどうかは、その製品、ブランドを見れば、わかる人はわかるものです。

日経新聞広告

日経新聞広告

トヨタは「鉄」、MINIは「楽しみ」を売っている

紀伊國屋書店 梅田店で紹介される

フォーリーさんの著書

『トヨタは「鉄」、MINIは「楽しみ」を売っている  もったいない!  日本企業が気づいていない経営と戦略問題』が紀伊國屋書店 梅田店のツイッターで紹介されました。

https://twitter.com/KinoUmeda/status/1656207973017092096?s=20

著者が来てくれると、書店の皆様も張り合いが出ますよね!

 

鷹揚に構える

「人生のヒント130-幸せをつかむ生き方指南集-」
(射志一世著 青山ライフ出版)

の中にある1つを紹介します。

・取り越し苦労はヤメタルズ

「問題になってから対処すれば十分だし、大した問題にならないことも多い。
取り越し苦労はやめよう」

起きてもいないことを心配して、
それで苦労したり、
気分が晴れなかったりすることはよくある。

日本人は特に心配性な国民性だとも聞く。

不安に思っていることのほとんどは実際には起きない。

実際に起きないことを心配して、それが大きな足かせになっているとしたら、
ずいぶんと損なことである。

誰だって不安はあるが、怖がってばかりいてもしょうがない。

その時はその時と、腹をくくって進まなければいけないときもある。

先の見えない中を進むのが人生なのだから。

問題は目の前に来たら対処すればよい。

それくらい鷹揚に構えるくらいでちょうどよい。

人生のヒント130

https://aoyamalife.co.jp/review/jinsei130.html

アティテュード(attitude)がない日本企業

この5月、日本の大企業にとっては、かなり辛口のビジネス書が発刊されます。
経営の本質を突いたとてもよい本です。

トヨタは「鉄」、MINIは「楽しみ」を売っている

トヨタは「鉄」、MINIは「楽しみ」を売っている

『トヨタは「鉄」、MINIは「楽しみ」を売っている もったいない! 日本企業が気づいていない経営と戦略問題』
(フォーリー・マーク著 SIBAA BOOKS)です。

どんなことが書いてあるか、引用します。
——————————————
 私にとってトヨタやホンダは「自動車会社」ではありません。トヨタは「製造会社」でありホンダは「エンジニアリング会社」だといつも思っていました。両社とも強みである製造やエンジニアリングに力を集中させましたが、ブランドイメージが不明なために、競争力がある「本当の自動車会社」が出てきたら競争できるかどうか、と若い頃から私は心配していました。(中略)
 トヨタは「自動車会社」ではなく、「製造会社」だと思っている私にとって、つまりは、トヨタは単に「鉄」を売っているにすぎません。ある知人は、私がそう言うと「ちゃんと動く鉄だよ」と反論したものです。
 一方で、ミニ(Mini)はどうでしょうか。ミニが売っているのは自動車ではありません。「Fun(楽しみ)」、「Funky(型破りな)」、「Cool(格好いい)」というアティテュードを売っています。BMWも自動車を売っていません。BMWは「Sheer driving pleasure(駆けぬける歓び)」や「The ultimate driving experience(究極の運転体験)」というアティテュードを売っています。
 日本語でちょうどいい言葉のニュアンスが見当たらないので、私は英語のアティテュード(attitude)という言葉をよくそのまま使っています。直訳の「態度」「姿勢」「心構え」「考え」などはどれもピンとこない。ここで使うアティテュードは特定の「気持ち」「感情」「人格」「性格」「考え方」「生き方」のようなものをすべて包括した表現です。

「情熱」から「創造する」もの

 これは単に「ブランディング」や「マーケティング」の問題ではありません。会社のDNA(遺伝子)や存在意義から発生する、経営の根本的な問題です。
 トヨタの企業DNAが本当に「製造会社」なら「本当の自動車会社」は自動車の製造をトヨタに委託したほうがいいじゃないか、と三〇年前から私は思っていました。日本企業の技術やエンジニアリングはきわめて高レベルですね。多くの場合、世界一だと思います。しかし企業の経営、戦略、市場理解、顧客理解の面が(特にグローバルで)弱いのです。それが実にもったいない!
——————————————

これはどういうことを言っているのか。

アティテュードがなくて、単に拡大を目指しているから、ブランドイメージがごちゃ混ぜになっている、大半の日本企業の現状を指摘しているのです。
これは大企業病の表れではないか?
経営がないのではないか?
とても、もったいないことをしていますよ、と。

アティテュードがなくて、単に拡大を目指している姿は、海外を含めた大きな視点から見るとどのように映るか……。
あれもこれもとごちゃ混ぜになって「売上だけ、利益だけ」と映ってしまいます。
そうなると、ブランドイメージは弱くなります。

日本在住30年の著者は、難しいことは言ってません。
経営の基礎に戻りましょう! と顧客の立場から貴重な提言をしています。

ここで、もう一度原点に戻れば、
日本企業にはチャンスがいっぱいあると主張しています。

トヨタは「鉄」、MINIは「楽しみ」を売っている

運動の効用

「人生のヒント130-幸せをつかむ生き方指南集-」
(射志一世著 青山ライフ出版)

の中にある1つを紹介します。

・運動しよう

「運動不足は成人病の元だし、運動は体だけでもなく心も元気にしてくれる。
ウォーキングでも体操でも何でもいいから、毎日少しずつ運動しよう」

本書は当たり前のように思われることに真理があり、それを素直に実行することが
いかに大事かを教えてくれます。

なぜ運動が大事なのかというと、人間は動物だからです。
子どもの頃はそんなこと言われるまでもなく、活発に運動していましたが、
大人になると、その原点を忘れ、身体を動かすことが少なくなります。

人間の身体は70%が水分だと言われていますが、
その流れが淀みなく循環することが何より大切なのです。

蛇行する河を見ると、動きが少ないところが淀んで、
そこにゴミなどが溜まっている。
身体も水分の流れなので、同じことが生じると想像できます。

だから、激しくする必要はまったくないので、
できるだけ身体のいろいろなところを動かすことが大切です。

運動した後は、心も体もスッキリします。
それが何より、その効用を証明していると思います。

人生のヒント130

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巡礼の年 リストと旅した伯爵夫人の日記

マリー・ダグー書簡全集第一巻の付録として掲載されている備忘録の翻訳書である。

マリー・ダグーは、1805年にフランクフルトで裕福な銀行家の家に生まれた。

やがてダグー伯爵と結婚し、二人の娘を産むが、その後、著名な作曲家フランツ・リストと出会い、家を捨て、リストの愛人となる。

その波乱に満ちた日々と、19世紀のフランス社交界の詳細が詳しく記録されており、
非常に興味深い。

本書の電子版がこの1月に発刊された。
『巡礼の年 』電子版

巡礼の年 電子版

巡礼の年 電子版

得意なことに打ち込む 人生のヒント130

読むだけで元気になる本を紹介します。

・合うことに打ち込もう

「どんなにやりたいことでも、自分に合わないことは長続きしない。
自分を見つめ直して自分に合うことを正しく選び、とことん打ち込もう」

仕事は好き嫌いで決められるものではないけど、
少なくとも自分に合うものを選ぶことは大人の知恵ですね。
得意を活かすことが、
自分にとっても、周りにとっても、幸せへの近道です。

ここで迷うのは、好きなことと得意なことが、一致していないとき。
普通は得意なことを好きになるものですが、そうでないときもある。
そんなときでも、仕事で選ぶのは得意なことにしましょう。
いくら好きでも、不得意なことを仕事にすると苦しむのは目に見えています。

・明るく生きよう

「暗くなれば自分が落ち込むだけでなく、周りの人も暗くしてしまう。
苦しい時も明るさを忘れず、周りの人も明るくできるくらい明るく生きよう」

分かっていても、ついつい暗くなってしまうもの。
「明るく」を心がけるのは、本当に大切ですね。

人生のヒント130

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