人類の誕生と総数
5万年前から数えて現代まで誕生した人類の総数は1082億人と推定される。
「世界人物年表」(重田憲三監修 青山ライフ出版)はその中から現代の人類に最も影響力があったと思われる500余名を年代・分野・地域別に整理し、年表化した画期的な人物年表である。
この年表を活用すれば、その時代に誰が何を成し遂げたのか、その人物がどんな時代を生きていたのか、その時代にどんな人物がいたのか、人物同士の接点はあったのかなど、100年、200年規模の俯瞰的な視点で人類史を見ることができる。
ガリレオ・ガリレイ
今回はガリレオ・ガリレイを挙げる。
最初は医学をピサ大学で学んだが、ユークリッドやアルキメデスの本を読むうちに数学や力学へと関心が移った。近代科学的な手法を樹立すること、そして天文学に多大な貢献をしたことで「近代科学の父」、「天文学の父」とも呼ばれる。独自の望遠鏡を作成し、木星の4つの衛星を発見したことは広く知られている。
(Wikipediaより)
ガリレオ・ガリレイ(イタリア)1564~1642 のプロフィール
〇16世紀後半、ヨーロッパの北部では、ローマ・カトリックのくびきを逃れようと宗教改革が進展していた。こんな時、ガリレオはイタリアのルネサンスの発祥の地トスカーナ大公国の地方都市ピサで7人兄弟の長男として生まれた。父は貴族で、音楽家であった。
〇勉強好きなガリレオは修道院の生活が好きだったため修道僧になることを志願したが、父が聖職者になることを望まず、フィレンツェへ連れ戻した。
〇父のすすめでピサ大学の医学部に入学した。しかし、ガリレオは授業に嫌気がさしてしまい、教師ともうまくいかず酒場や売春宿に入り浸っていた。そんな時数学者オッシオ・リッチと出会い第1学期の終わりまでには数学専攻の学生になっていた。
〇ある日曜日、ピサの教会で説教を聞いている時、ふと、聖堂の丸天井から吊りされたランプに目を奪われた。振り幅が変わっても、元の位置に戻る時間が同じなのを発見した。1583年「振り子の等時性」を発見した。
〇その後多くの著作物を残した。1586年「小天秤」、1588年「変化と元素」、1589年「科学による実証」、1590年「アルマゲスト批判」「運動について」、1594年「宇宙史」
〇ガリレオは後世に名をとどめるエピソードをいくつも残している。なかでも有名なのがピサの斜塔で行われた落下実験である。「重さのちがうふたつの物体が落下する場合、重い物体のほうが先に着地する」と一般に思われていた。1589年、重さの違う2つの砲丸を斜塔の頂上から同時に落下させ、物体は重さとは関係なく、同じ速度で落下することを確かめた。
〇ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーの「地動説」→「太陽が宇宙の中心」に対してガリレオもその考えを支持していた。その考えは異端審問所にかかり、一時はガリレオも撤回したが、科学者魂で反論し、最後は教皇との和解となったが、悲劇的な結末につながった。宗教裁判から9年後、病魔に侵された。1642年ガリレオは77歳で永眠した。
〇ガリレオの言葉–真理は権威ではなく探究と証明によって明らかになるべきだ–それでも地球は回る