人類の誕生と総数
5万年前から数えて現代まで誕生した人類の総数は1082億人と推定される。
「世界人物年表」(重田憲三監修 青山ライフ出版)はその中から現代の人類に最も影響力があったと思われる500余名を年代・分野・地域別に整理し、年表化した画期的な人物年表である。
この年表を活用すれば、その時代に誰が何を成し遂げたのか、その人物がどんな時代を生きていたのか、その時代にどんな人物がいたのか、人物同士の接点はあったのかなど、100年、200年規模の俯瞰的な視点で人類史を見ることができる。
レフ・トルストイ
今回はレフ・トルストイを挙げる。
トルストイは帝政ロシアの小説家、思想家。ドストエフスキー、ツルゲーネフと並び19世紀ロシアを代表する文豪である。
(Wikipediaより)
レフ・トルストイ(ロシア)1828~1910のプロフィール
〇モスクワから南へ190キロメートルほど離れたヤースナヤ・ポリャーナで生まれた。
ドイツからやってきた名門の出として、伯爵家の四男として何不自由ない子供時代を送った。
〇13歳になって家庭教師に、トルコ語やタタール語、アラビア語などを学んだ。16歳で特別に、カザン大学東洋語学科アラブ・トルコ語専修に入学した。
〇その後大学を中退し、士官候補生試験に合格した。武勲もあったが、勲章はもらわず、小説の執筆に夢中になった。
〇初期の代表作「幼年時代」は月刊誌「現代人」に掲載されたが、もっとも影響を受けたのはイギリスの作家チャールズ・ディケンズだった。
〇トルストイは34歳で、18歳の娘ソフィア・ベルスと結婚した。結婚生活は平穏で幸福なものであった。そんな幸せな日常のなかで書き始めたのが、「戦争と平和」である。ナポレオン戦争を背景にした壮大なこの歴史絵巻はホメロスの「イリアス」にも匹敵する叙事詩として世界的名声を決定的にした。
〇先輩ツルゲーネフとはすぐに意気投合したが、トルストイの妹との結婚話が不調になったためと作家としての資質のちがいから絶交状態となった。しかし、ツルゲーネフは生涯トルストイを高く評価していた。
〇51歳から書き始めた「懺悔」以降、キリスト教的・政治的・道徳的な論文の執筆に精力を注ぐようになった。
〇トルストイは、妻ソフィアとの間に9男3女、計12人の子供をもうけた。末子が生まれたときには60歳であった。父親は家庭内では子供たちとの理解が得られなかったため四面楚歌となっていた。晩年家出をして、転々として1910年82歳で亡くなった。
〇トルストイの言葉–幸福な家庭はどれも互いに似たようなものだが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。