世界人物年表―アイザック・ニュートン

人類の誕生と総数

1万2000年前から人類は頭角を現しはじめ、農耕・牧畜が開始され爆発的に人口が増えた。
シュメール人が5000年前文字を作り、人類の歴史が記録されるようになった。
5万年前から数えて現代まで誕生した人類の総数は1082億人と推定される。
世界人物年表はその中から現代の人類に最も影響力があったと思われる500余名を年代・分野・地域別に整理し、年表化した画期的な人物年表である。

この年表を活用し、その時代に誰が何を成し遂げたのか、その人物がどんな時代を生きていたのか、
その時代にどんな人物がいたのか、人物同士の接点はあったのか、などを見てほしい。

アイザック・ニュートン
ここでは例として、アイザック・ニュートンを挙げる。
ニュートンは1642~1727を生きた大科学者である。同時代のイギリスでは生まれた年にピューリタン革命が起り、6歳の時オランダとの30年戦争が終わり、19歳の年に王政復古があり、24歳でペストが流行した。ニュートンにとっては安定しない青春時代であった。
ニュートンの業績としては、科学革命を起こした「万有引力」「光の性質」「流率法」の三大発見のみならず、数学においても才能を発揮した。「プリンキア」の発表。同時代を生きた著名人に、ハレー彗星で有名なエドマント・ハレーや最後まで相容れなかった哲学者ジョン・ロックがいる。接点はなかったが、哲学者パスカルも同時代を生きている。

ニュートンGodfreyKneller-IsaacNewton-1689

アイザック・ニュートン(イギリス)1642~1727のプロフィール
〇農場主の子としてイギリスの片田舎ウールスソープという小さな村でクリスマスの夜に生まれた。子供の頃のニュートンはすこぶる無口でおとなしかった。外を飛びまわって遊ぶよりも部屋のなかで読書や工作に夢中になっていた。
〇12歳になったニュートンは学問の基礎を修得しつつ、日時計の製作など工作の腕を発揮する。伯父の進言もあり、晴れて学問の道を存分に追求するため、大学に進めることになり、ケンブリッジ大学に入学することになった。
〇研究を続けていたニュートンであるが、ペスト禍の襲来により故郷ウールソープに帰ることになった。ここで過ごした2年間はもっとも多くのインスピレーションを得た時期であった。ニュートンの三大発明である「万有引力」「光の性質」「流率法(微積分法)」はすべてこの頃に得られた。その後ケンブリッジ大学の教授となる。
〇その後反射式望遠鏡を発明したほか、偉大なる著作「自然哲学の数学的原理」、通称「プリンキピア(原理)」を発表し、一躍脚光を浴び、サーアイザックの誕生を得た。アン王女がケンブリッジ大学を訪問し科学者としてはじめて爵位を与えられた。
〇その後1689年国会議員に選出され、1699年には造幣局長官に就任した。
〇王立協会の会長になり、様々な著名人とも交流があり、アン王女、ハレー彗星で有名なエドマンド・ハレー、ロバート・フックなどである。晩年は神学者となり、論文を発表し、波紋を呼んだ。また、錬金術師となり、錬金術の研究に没頭した。
〇1727年に異端の信仰を告白し、その祈りによって罪が許される終油の秘蹟という儀式を拒み、膀胱結石を患い、84年の生涯をケンジントンで閉じた。
〇万有引力の発見でリンゴの木が有名だが、その木は故郷ウールスソース農園の木ある。その木はその後枯れてしまったが、接ぎ木は日本小石川植物園にもある。

世界人物年表

世界人物年表

カテゴリー: 本の紹介   作成者: admin パーマリンク

admin の紹介

青山ライフ出版 代表取締役。北海道生まれ。1983年早稲田大学教育学部卒。経営誌副編集長などを経て、2005年青山ライフ出版を設立。実用書、エッセイ、小説、詩集、絵本、写真集など幅広い出版物を発刊している。