フランクル『夜と霧』――生きる意味を問う

これはとても興味深い、極限状態における人間心理について書いている。

原題は『心理学者、強制収容所を体験する』だという。

第二次世界大戦時、アウシュヴィッツ強制収容所の支所に収容された
心理学者フランクルの体験記である。

悲惨な体験記は他にも多くあるのだろうが、
本書が世界的に評価されている一番の理由は、
人間存在の根源的な問いかけに対して『それでもイエス』と熱く語り、
われわれに勇気をくれるからではないだろうか。
単なる心理分析の本ではないのだ。

病気になったらガス室に送られる恐怖におびえながら、
わずかな食事で強制労働させられ、
夜は2メートル×2・5メートルほどの板床に9人が身体を横にして寝せられる。
そんな日々がいつ果てるともなく続く。

そんな中で、どうして人間性を保つことができるだろう。

多くの人が崩れていったが、そうした中でも逆に、内面的に深まる人もいたという。

どんなひどい状況におかれようとも、心の中は自由であり、
誇りや尊厳を失わないでいることもできる。

この期間を自分の人生の中でなかったことにしてしまうのではなく
この機会に、人間性を高めようとした人、そんな本当の意味で強い人もいたという。

どうせ死ぬかもしれないのに、人間性を高めたところで何になる?
と思うかもしれない。

そうではないのだ、とフランクルは言う。

最期の瞬間まで、誰も奪うことのできない精神的自由を持っていることが
その人生を意味深いものにする。
仕事に真価を発揮したり、安逸に生きたり、
芸術や自然をたっぷり味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではない。
そんな機会が皆無の人生にも意味はある。
苦しむこともまた生きることであり、意味があるのだ、と。

強制収容所で生き残るには希望を失わないことが重要だった。
この収容所は1944年のクリスマスと1945年の新年の間に大量の死者を出した。
この間、環境に変化はなかった。
この大量死の原因は、多くの人がクリスマスには家に帰れるだろう
という希望にすがって生きていたのに、
期待を裏切られ、落胆し、絶望したからだった。

生きる希望や生きる目的、生きる意味などを見失った人間は簡単に崩れてしまう。
「生きていることにもうなんにも期待がもてない」
という思いにとりつかれた人は、あっというまに崩れていったという。

逆に、生きる意味を知っている人間は、どのように生きることにも耐えられる。

収容所の雰囲気が最悪だったあるとき、
フランクルは請われて同胞に話す機会を得た。
彼はこう言って仲間を励ました。

生き延びる可能性がどんなに低くとも、どんなに絶望的な状況でも、
私は希望を捨て、投げやりになる気はない。
未来は誰にもわからないし、過去だって、
あなたの心の中の宝物は、この世のどんな力も奪えないのだ。
人間が生きることには常に、どんな状況でも意味がある。
苦しむこと、死ぬこと、犠牲になることも含めて、すべてに意味があるのだ。

では、生きる意味とは?

フランクルは、一般論で語ること、答えることはできないという。

人に問うことではない。
教えてもらうことではないのだ。

私たち自身、ひとり一人が日々問われている。
これに答える義務を引き受けることが生きることなのだ。

その答えはとことん具体的な何かであり、状況によって変化する。
あるとき、ある人にとっては愛する人のため、ある人にとってはある仕事のため、
ある人にとっては……。

だから、どんな人生も二つとない。
どんなに宇宙が広大であろうとも、その人生はたった一度。

どんな境遇にあろうとも、その運命を肩代わりできる人はいない。
その一度きりの運命を引き受けることが生きることなのだ。

本書は、どんな境遇にあっても、
人間は希望を失わずに生きていけるということを教えてくれる。

ひるがえって、これほど恵まれた日本で
こんなにも自殺者が多いのはなぜなのだろう。
これはまた別の機会に考えてみたい。

*参考文献『夜と霧 新版』
(ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房)

 

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admin の紹介

青山ライフ出版 代表取締役。北海道生まれ。1983年早稲田大学教育学部卒。経営誌副編集長などを経て、2005年青山ライフ出版を設立。実用書、エッセイ、小説、詩集、絵本、写真集など幅広い出版物を発刊している。

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