作家の城山三郎は、自分より才能がある人がたくさんいる中で
なぜ自分がプロ作家になれたかについて、こう言っています。
わりあい早くに賞をとったので、いろいろな出版社の編集者に、
厳密に締め切りを決められて書かせられた。
とにかく締め切りを守るために、
たとえ60点のものでもどんどん出していった。
これに対して才能のある人は、完璧主義のため
「これではまだダメ、これではまだダメ」という形で、
いつまでも作品を出さない。
そのうち消えていった。
渡辺淳一も著書『鈍感力』の中で似たようなことを言っています。
出した作品をけなされるとショックを受けるが、
自分の場合は、二、三日やけ酒でも飲んで、
また新作に取り組んだ。
ところが、非常に才能のある知人がいたのだが、
作品が批判されたことをいつまでも気にして、
作品を書かなくなり、いつの間にか消えてしまった。
このエピソードからわかることは、
すくなくとも流行作家になるような人は、
完成度はほどほどでも、そこを見切ったうえで、
次から次へと一定レベルの作品を出していける、
そういう才能を持った人だと思われます。
事実、芥川賞、直木賞などの著名な賞の受賞者でさえ、
小説だけで食べていける人は少ないといいます。
プロになるということは30年、40年、
書き続けて、それで収入を得ていくこと。
一体、どれほど書かなければならないでしょう。
ひるがえって思うに、こう言えないでしょうか。
プロ作家になれない人の中にも、才能のある人は無数にいる。
そういう人は無理にプロになろうとするよりも、
他に仕事を持った上で、素人作家、趣味作家として
思う存分、自分の書きたいものを書き、
一生に一冊でもよいから、その才能を表現すればいい。
それで賞をとれればラッキーですし、
賞はとれなくても自費出版という手もあります。
宣伝っぽく聞こえるかもしれませんが、
そう割り切ってしまえば、いろいろな可能性が
広がるような気がします。
自費出版作品、自身がこの世に生きた証となる唯一のもの、そう信じたい。本職に成り得ないが、煩悩から生み落す貴重な副産物でもある。内容はともかく、一人の読み手を満足させれば、よしと考える。枕元で文章として練られた活字を追う至福の時は、作者にとり特別なもので、これが新たなものに向わせる血の一滴となり、正気を失い、次の船旅に出掛けたくなるのかも。高橋社長のスパイスの効いたコメントは大変貴重なものと毎回拝察いたします。