推理小説の元祖で詩人でもあったエドガー・アラン・ポーは、
その詩論で、ミルトンの『失楽園』を単に長い、
という理由で批判しました。
人が緊張感を持続する時間には限度があるのだから、
そこを考えなければいけないというわけです。
ミルトンの『失楽園』という世界史に載るような作品でも
そういうことを言われるのです。
いわんや無名の作家においてをや、です。
読者にとっても、出版社にとっても、
作品の長さは適度なものがよいのです。
独断で言えば、150ページから350ページ程度でしょうか。
それ以下になると薄すぎるし、それ以上になると厚すぎる。
出版の世界でも、書店流通する本は、
背幅が5㎜以下のものは敬遠されます。
書棚にさしても、薄すぎて背の文字が読めず、
売りにくいからです。
逆に背幅が5㎝以上ともなると、
製本もしにくくなるし、持ち歩くのも大変になります。
そして読むのも大変です。
ドストエフスキー、司馬遼太郎、村上春樹といった
大作家であれば、上下巻やシリーズものとして出版されますが、
われわれはそうではありません。
短いものしか書けないのであれば、
短いものをいくつか集めて本にすればよいですが、
長いものしか書けないという人には辛い現実です。
その点、電子書籍の普及は、
長い作品しか書けない人にとっては朗報です。
電子書籍であれば物理的な制約は受けないので。
ただ、最後まで読んでもらえるかどうかは、
筆力にかかっています。
もちろん、単に長いものはよくない、などということは
決してありません。
たとえば『史記列伝』などは、長大ですが、
これだけ中身が濃いものはそうないです。