コロナ後の世界

コロナ後、世の中はどうなっていくのか。

コロナはこれまで進行してきた社会の流れを加速している。

IT巨大企業のGAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)は、
コロナ禍でも逆に業績を伸ばしているのがその表れ。
世界のIT化はますます加速する。

IT化するとスピードがアップし、余計な枝葉がなくなる。

印鑑不要など、不合理なことを排除する圧力が強まる。
リモートワークの普及もそう。
家でできることは家でやればいい、というわけだ。

結果、人々はあまり出歩かなくなり、「ひきこもり」は普通になるのかもしれない。

すると自由な時間が多くなる。
その時間に何をするか。
さまざまな分野でさまざまな作品を生み出す人が増えるだろう。

その作品はデジタルのものが増える。
電子書籍もその一つだが、絵画、動画、その他、新しいデジタルがどんどん生まれる。

それらを見るための端末が進化する。
ネット、スマホの進化がさらに加速するだろう。
ウイルスに関しては、長い付き合いになる。
今回のコロナが制圧されても、別のウイルスが出てきて、そのたびに対応を迫られるだろう。

戦争や暴力など、目に見える脅威は減っていくが、
このような見えない脅威に振り回される。

脅威そのものより、反応する人間社会のごたごたに振り回される
ことが多くなる気がする。

 

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ウイルスの大きさと小さな世界

相変わらずの日々ですが、お変わりないですか?

こうしたご時世ですので、弊社でもリモートでのお打ち合わせが可能な

ZOOMでの出版相談を行っております。

原稿に関するアドバイスなどもできますのでいつでもお気軽にお声かけください。

さて、毎日のように、コロナウイルスの話題であふれています。

けれど、実際に目で見たことはないのです。

肉眼で確認したという話は一度も聞いたことがないので
おそらく、見た人はいないのだろうと思います。

ウイルスは小さくて見えないらしいのですが、どれくらい小さいのか、
自分の実感として理解したくなったので調べてみました。

ネットで調べると以下のような説明がありました。

アリの10ぶんの1がダニ。
ダニの10ぶんの1がスギの花粉。
スギ花粉の10ぶんの1が大腸菌。
大腸菌の10ぶんの1がインフルエンザウイルス。
別の表現ではこうです。

砂粒の1000分の1が細菌。
砂粒の10000分の1がウイルス。
ウイルスの大きさは一般的に0.1マイクロメートル以下だといいます。
1マイクロメートルは1000分の1ミリなので、
ウイルスは10000分の1ミリということになります。

この大きさを具体的に想像するために髪の毛と比較してみます。

髪の毛の太さは0.1ミリ程度。
ウイルスは髪の毛を1000分割した大きさです。
そう言われれば、何となく想像できるような気がします。

どんなに目立つ色を付けても、見えそうにないのがわかります。

 

ちなみに、もっと小さい世界。

原子はウイルスの100分の1から1000分の1くらいのようです。

そして原子核は原子の10000分の1です。

話はさらに脱線してしまいますが、

原子核をリンゴの大きさにしたとき、
原子は直径10キロの大きさになるそうです。

原子核をピンポン球として東京ドームの中心に置いたとき、
電子は外野席のあたりを漂い、回っている。
それが原子のイメージです。

つまり、
原子でできている物質の世界はスカスカなのです。

どうりで、どこにいてもスマホがつながるわけです。

 

脳によい環境と悪い環境

先般、「フリーズする脳」について書いたところ、
反響が大きかったので、続編ということで、
脳によいと思われる行動と、よくないと思われる行動を箇条書きしてみます。

●脳によい行動や環境

・部屋の片づけ
高次脳機能維持する基礎的なトレーニングになる。

・目標を持つ
あれをしたい、これをしたいという目標があれば、人は脳を使う。
やる気を失い、反射的、依存的な生活になると脳を使わなくなる。

・新鮮に感じることを多く持つ

・目がよく動く

・立体感が感じられる環境に接する

・会話する
会話は、脳のいろいろな場所を多く活用する必要がある。

・歩く

・読み書き、音読する

・思い出す努力をする

・ラジオを聴く

●脳に悪い行動や環境

・ネット依存
能動的に使うのではなく、やる気がなくて惰性的に見るのはよくない。

・出来上がりすぎている環境

・単純化されすぎた生活

・目を動かさない

・一日中テレビを見ている

・一日中パソコンに向かっている

・機械であることを求められるような仕事

 

このように書いてみると、
コロナ禍の環境は脳にはよくないのがわかります。
ステイホーム、話さない、出かけない、、、
感染防止のための自粛は、脳の健康とは正反対の環境なのです。

それでコロナ感染は防げたとしても、
脳の健康、心身の健康という視点で考えると、
非常に大きな負債を抱えることになる気がします。

ブロックチェーンの暗号

ブロックチェーンの暗号について、自分なりの理解で書いてみます。

暗号といえば、私などはエドガー・アラン・ポーの「黄金虫」を思い浮かべます。
数学的な推理のおもしろさに黄金虫という昆虫が絡んだ神秘的な物語に衝撃を受けたものです。

コンピュータ時代、実務で使われる暗号は、「黄金虫」のような謎解き的なものではないようです。暗号には素数が使われます。
謎はわかっており、あとは解く力があるかどうかが問われる実務で、素数の暗号が非常に便利な特性があるからです。

素数とは、1とそれ自身でしか割り切れない数のことです。

30以下の素数を挙げると、

2、3、5、7、11、13、17、19、23、29です。

ちなみに1は素数ではありません。

ブロックチェーンの暗号は、公開鍵と秘密鍵の組み合わせでつくられます。

たとえば、23と29という2つの素数を掛け合わせると

23×29=667 となります。

ちなみに667は、1とそれ自身以外でも割り切れたので素数ではありません。

この場合、667が公開鍵、23と29が秘密鍵となります。

23×29が667だということは、電卓ですぐに解けますが、
667が23と29の掛け合わせだということは、素因数分解してみないとわかりません。つまり時間がかかります。ここがミソです。

192896999171(公開鍵)という数が公開されても、
それが323123と596977(秘密鍵)の掛け合わせだと、わかるには時間がかかります。

コンピュータの時代なので、実際に使われている秘密鍵の桁数は数千桁にもおよびます。

これだけの桁数になると、人力ではどうにもならない。紙とペンを持つ気にもなりませんね。
効率よく答えを出す方法がないので、コンピュータはこの暗号を解くために、
総当たり戦法をとります。
2で割ってみて、3で割ってみて、5で割ってみて、、、
と順番に、まさに力ずくで、秘密鍵を探り当てるわけです。

自転車の鍵の暗証番号を0000から9999まで回してみるようなものです。

これを数千桁の数字でやらされるのだから、いかに専用の超高速マシンでもたまったものではありません。電気代が大変なコストになっているそうです。

よってこの作業をマイニング(採掘)と呼びます。

理論的には、秘密鍵の桁数はどこまででも増やせるので、解読に数万年、数億年かかる暗号をつくることも可能なのです。

宇宙が終わるころ解ける暗号をつくってどうするの? という話ですが、、、、

ビットコインではマイニングに10分程度かかるほどの難しさの暗号にして、
一番早く暗号解読(マイニング)した者に、褒美のコインが与えられる仕組みになっています。

暗号が簡単すぎると、同時に解かれるケースが出てきて混乱するし、難しすぎると非効率になる。桁数の調整で、難しさを調整できるので、非常に使い勝手のよい暗号法なのです。

 

使わないものは無くなる

私が2021年の年頭に受けた啓示は、

『使わないものは無くなる』ということです。

テレビを見ていたら、深海を泳ぐ魚が出てきました。
その魚には目がありませんでした。

真っ暗な深海という環境では、目を開けても何も見えない。

目を使わないでいるうち、目が無くなったのです。

なるほど、『使わないと無くなる』のだな、深く納得しました。

たしかに、筋肉も使わないと細っていくのは、日常的に体験しています。

生き物はそういう仕組みになっており、どうもその変化のスピードは、思っている以上に早いのではないかと思います。

人間の身体の7割は水分であり、その細胞は常に入れ替わっていることを考えても、
ちょっとした環境の変化で、どんどん変わっていくのはあり得ることです。

と、そこまで考えた時に、気になったのは脳のこと。

これも使わなくなると、たちどころに、その部分の機能が無くなるようなのです。

そんなことを考えているおり、
『フリーズする脳』(築山節著 NHK出版)を読んで、ますます納得しました。

著者は脳神経外科医の経験から、普通の人たちがボケていく例を数多く見てきたので、その解説は非常に説得力がありました。

やはり環境の影響が非常に大きいのです。

たとえば、20代の頃は職場の最前線で顧客対応にあたっていた人が、
30代になって出世し、部下にその面倒な仕事をさせるようになる。
すると、昔はできていたはずの臨機応変な対応ができなくなる。

頭は使っているはずの50代後半の大学教授。
人前で話している最中に何を話しているのかわからなくなったり、よく知っているはずの人の名前が思い出せなくなったり、メモしても、そのこと自体を忘れてしまったりする。
このような事例は、思い当たる方も多いかと思います。

若い頃は最前線に立たされて、臨機応変な対応をしたり、新しいことに次々とチャレンジしたりして、知らず知らずに脳の思考系を多用しているのです。

それが年齢を重ね環境が安定してくると、思考系を使わなくなり、反射的、パターン的になってきて、そしてボケていくようです。

生活が苦しくて、あれもやらなければ、これもやらなければ、という環境にあった頃、実は脳細胞は非常に活性化されており、やる気に満ちあふれている。
もっと時間があれば、もっとできるのにと思っています。

ところが生活が安定し、面倒なことから解放され、時間の余裕もたっぷりある環境になってみれば、脳の基本回転数も下がるため、昔あったはずのやる気はどこへやら、となります。
やる気も、本人の意志ではなく、環境次第なのです。

人生、思うようにはいかないものです。
けれども、そういう状況にあるということを客観的に理解できれば、対処法はいくらでもあります。

『フリーズする脳』には、次のように書いています。

「結局のところ、脳の若さというのは、思考系を使って解決しなければならない問題や、興味があること、新鮮に感じることをいくつ持っているかということだと思います。それをたくさん持っている人の脳は何歳になっても若いし、それを失ってしまっている人の脳は、若くても老いている……」

結局、話は戻りますが、
「使わないものは無くなる」のだから、無くしたくなければ使い続けるしかないのです。

思えば、文章を書くというのは、非常に高い思考力が求められます。

高齢になっても文章を書き、さらに本にして出版までするというのは
並大抵のことではないと思います。

高齢の著者を尊敬する所以です。

暗号通貨 ネット上に完全な台帳があったなら

お金に関する技術が大きく変化している。
何がどうなのか?
技術の詳細はわからないにしても、自分なりに、どのように理解したらよいのかを知りたい。
そこで、自分なりの理解をまとめてみる。

お金というのは、これまで便宜的に紙幣やコインを使ってきたけれども、
結局は数字のやりとりである。

数字のやりとりが間違いなく、誰もが使える信用できる記録(台帳)があればよいのだ。

ということで、昨今はスイカとか、WAONとか、さまざまな電子マネーが普及し、使用されている。
これらの電子マネーは、大手企業、銀行などの信用によって裏付けられている。
つまり信用できる記録(台帳)を管理する人がいて使用できているのだから、技術的に目新しいものではない。

ビットコインに代表される暗号通貨(資産)と言われるものは、管理者がいなくても技術で信用あるお金のやりとりを実現させようとするものであり、これらの電子マネーとは次元の違うものである。

その技術とはいかなるものか。

数字のやりとりが間違いなく、誰もが使える信用できる記録(台帳)を、イメージするためにエクセルシートがネット空間にあると想像する。

そのエクセルシートには、われわれ一人ひとりが、いつ誰にいくらか支払ったか、入金されたか、残高はいくらか、すべてもれなく記録してあるのだ。

もしも、世界人口77億5000万人全員が絶対にごまかしをしないのであれば、
その巨大エクセルシート1つあれば、すべて事足りる。

そこには、全人類の固有番号が割り当ててあり、すべてのお金のやりとりが、瞬時に記録されるので、決済は自動的に一瞬にして終わる、と夢想する。

しかし、誰もがアクセスできる台帳でありながら、絶対に不正がされない、はありえない。
そこで考え出されたのが暗号。
暗号によって、簡単に書き換え、複製などをできなくし、特定の取引で、特定の相手にだけ、特定の書き換えが許されるような仕組みが考え出された。
それが暗号通貨で、その仕組みはブロックチェーンと呼ばれる台帳。

なぜ、こう呼ばれるかというと、新たな取引記録のブロックが、チェーンのように
次々と数珠つなぎになっていくからだという。

イメージとしては、エクセルシートに新たな行が次々と追加され、ファイルが更新されていくような感じである。
それはいかなるものか?
よくわからないが、考え方としては、こういうこと。

唯一の正しい台帳があって、それと照合して合わない数字のやりとり、取引は受け付けない仕組みがあれば、不正が排除できるから通貨として通用する。

ネット上にあるエクセルシートを想像してみればわかるが、これを実現するには
強力な暗号の仕組みが不可欠であろう。

その暗号とは、どんなものなのか?
それはまた後日……。

 

今を感じる

コロナウイルスでもうあっという間に、世界中が大騒ぎ。
本当に何が起こるかわからないですね。

インターネットが普及して間もない頃、
1995年くらいでしょうか。
これで世界が一つの小さな村になってしまった。
と言われましたが、本当にそうなりました。

情報が、昔だったら小さな村に広がる速さで
今は世界中に広まってしまう。

よい情報だけならよいですが、そうもいかない。
そういうわけで日本の片隅で細々と生きているだけなのに、
世界中の刺激的な情報を浴びて、
落ち着かない日々を過ごすことになります。

ただ、どんなときにも忘れてはならないのは、
目の前にある自分の今。
そこは静かであり、日々、ゆるやかに時が流れているだけです。

自分という生身の人間は、そうそう簡単に変わることはできず、
昨日、今日、明日と、一日一日を繰り返すだけ。

限りある人生ですが、
せめてその時までは健やかにいきたいですね。

こんな時期ですので、くれぐれもご自愛ください。

時間について

最近、時間について哲学的に考察する本を読んだのですが、
とうも、考えれば考えるほど、時間というものは奇妙で、
とらえどころのないものに感じられます。

私たちは過去・現在・未来という区別をしますが、
現在って、いつでしょう?
今、この一瞬といっても、次の瞬間には過去になっています。

そして、過ぎ去った過去は、いったいどこへ行ったのでしょうか?

過去は消えたのでしょうか?
それとも、宇宙のどこかに残っているのでしょうか?

まだ来ない未来は、どこにあるのでしょうか?
それとも、どこにもないものでしょうか?

時間という実体があるのではなく、
私たちの脳が時間の流れを感じるようにつくられているだけ
という説もあります。

なるほどと思いますが、時間がないのであれば
宇宙もなく、宇宙がなければ脳もないのでは……と思うのです。

宇宙論では、140億円前にビッグバンによって宇宙は誕生した
ことになっていますが、このビッグバンを幻想の始まりと
解釈するなら、つじつまが合うのかもしれません。

時間によって成り立つ幻想の世界が誕生し、
その世界で生まれた私たちなので時間を感じているのです。

本来は時間も空間も光もないのかもしれません。

すべてが幻想ですから、
色即是空、空即是色となるのでしょうか。

伊藤桂一先生の思い出

直木賞作家の伊藤桂一氏が10月29日に亡くなった。
99歳で老衰とのこと。

新聞の夕刊で訃報記事を見つけ、はっとした。
オートバイを四谷駅近くの広い歩道に止めた時の
風景や空気感まで、30年前のことが蘇った。

30年前、小説家養成講座に通っていて
そのメイン講師が伊藤桂一先生であった。

その頃すでに、私からすると優しいおじいさんという感じであった。
講座とは別に、稚拙な手書き原稿用紙を渡したところ、
わざわざ丁寧な感想を書いて返送してくださった。

考えてみれば、私のつたない小説を読んでくれた唯一のプロ作家であったが、
生意気で無礼な若者であった私には、
そのありがたみがよく分っていなかったのが悔やまれる。

芥川龍之介が通っていた小学校

前回、JR両国駅の北側を紹介したので、今回は南側を紹介する。
こちらはまた歴史記念碑の宝庫で、10分ほど散歩するだけで
いろいろなものを目にすることができる。

駅を出て京葉道路を渡り、1区画入っていくと両国公園があるが、
この辺り一帯にさまざまな跡がある。
まず両国公園内に「勝海舟生誕の地」の碑がある。
この公園の向かいに、芥川龍之介が通っていた両国小学校があり、
「芥川龍之介文学碑」がある。
碑文によると、
芥川は1892年に東京市京橋区入舟町で生まれたが、
母ふくが生後七ヶ月で発病したため、
本所区小泉町(現在の両国)に住んでいたふくの兄に引き取られ、
やがて芥川家の養子になったとある。

芥川の母は精神を病んだのである。
生まれてすぐに外に出されるというのは、
昔は多かったのかもしれないが、夏目漱石と同じである。
後に精神の病で苦しんだところまで芥川と漱石は似ている。

「芥川龍之介文学碑」のすぐ先に忠臣蔵で有名な「吉良邸跡」がある。
元禄15年(1702)12月14日に赤穂の四十七士が討入りしたその場所である。
当時ははるかに巨大な屋敷だったが、
現在残されているのは邸内の「吉良公 御首級(みしるし)洗い井戸」を中心に、
有志が東京市に寄贈した一画だという。

今となってはビルの谷間にある30坪ほどの公園だが、
格式ある「なまこ壁」の中に入ると、園内には吉良上野介義央(よしひさ)の座像、
みしるし洗い井戸などがあり、江戸時代の雰囲気が味わえる。

忠臣蔵では悪役に仕立て上げられた吉良上野介だが、
地元の愛知県西尾市吉良町での評判は高く、
慕われる殿様であったという。

両国は「江戸」を感じさせる一帯で、
ちょっと散歩するにはよいところだ。

両国駅前の案内板

両国駅前の案内板

 

 

芥川龍之介文学碑2

芥川龍之介文学碑2

 

芥川龍之介文学碑

芥川龍之介文学碑

 

吉良邸跡

吉良邸跡

 

被服廠跡の悲劇

JR両国駅の北側に両国国技館や江戸東京博物館があるのはご存じの方が多いだろうが、その裏手にある「横綱町公園」はあまり知られていないと思う。

この公園は「被服廠跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」とも呼ばれている。
かつての被服廠跡であって、
現在は東京都慰霊堂と東京都復興記念館がある公園である。

東京都慰霊堂には関東大震災による死者約5万8000人と、東京大空襲の死者約10万5000人、あわせて約16万3000体の遺骨が安置されている。

中に入ると、木片の短冊があり、
「これからの人生に夢をもっていた多くの人が亡くなりました、そのことを思ってあなたの夢を書いてください」とあった。
3.11の大震災から5年、多くの悲劇を見てきたが、その何倍もの痛ましいことが、まさにこの地で起きたことを改めて認識させられた。

復興記念館は関東大震災の惨事を長く後の世に伝えるために昭和6年に建てられた年輪を感じさせる建物で、こちらも無料で入館できる。この展示には衝撃を受けた。

この被服廠跡で関東大震災による最も痛ましい惨事が起きた。
たまたま避難に適した広場であったことから地震後、大八車に布団などの家財道具を積んだ周辺住民が4万人あまり避難してきていた。
狭い公園が人と家財道具で埋め尽くされた状態であった。

そこに、隅田川対岸の火災の火が強風にあおられ、渦を巻いて飛んできたのだ。
あっという間に四方八方火に囲まれ、逃げるに逃げられず、ほぼ全員、
3万8000人が犠牲になった。その惨状は想像を絶する。

関東大震災は1923年。
東京大空襲は1945年。

そして今、この惨劇の現場は、
立て続けに起きた東京の大惨事の追悼記録として残っている。

横綱町公園

横綱町公園

 

東京都慰霊堂

東京都慰霊堂

東京都慰霊堂屋内

東京都慰霊堂屋内

関東大震災の悲劇を伝える東京都復興記念館

関東大震災の悲劇を伝える東京都復興記念館

関東大震災の火災で丸ビルの溶けた鉄骨

関東大震災の火災で丸ビルの溶けた鉄骨

アメリカで自費出版が増えている!

アメリカでは自費出版本の人気がじわじわと上がってきているようです。

その一番大きな理由は電子書籍の普及です。
amazon kindleのような電子出版を活用することで
個人で出版する(自費出版)の垣根が格段に下がり、
その中から売れる本が出てきたことで、
出版業界の中でも、そうした本の割合が高くなってきているのです。

アメリカでは、2012年の時点で、自費出版市場が
書籍市場全体の17%を超えていたとのことです。

日本では縦書きやルビなど言語的なハードルがあり、
アメリカほど電子書籍化が進んでいませんでしたが、
市場は一貫して伸びており、2014年度で1400億円を超えました。

それでも、まだ紙本の市場の約10分の1ですが、
早晩これが3分の1、2分の1という方向に進んでいくと思われます。
それと同時に、自費出版(個人出版)の割合も高まっていくのでしょう。

興味がおありでしたら、下記の記事もお読みください。

http://aoyamalife.co.jp/contents/theme01/theme03.php

一昔前の定年は55歳だった!

11月17日の読売新聞夕刊「よみうり寸評」に、
大学入試で初めてセンター試験(当時は共通一次試験)
が導入された1979年に受験した世代が今年55歳だよね。
そして当時は55歳が定年だったよね、という話があった。

「そうなんだよね」と、自分がそうだから、
いろいろな意味で考えさせられた。

もうそんなに経ったのか、ひと昔前ならもう定年か、とか。

55歳で引退したら、あと35年(90まで生きるつもり)どうするの?

ひと昔前のことが今では考えられない気がする。

それだけ時間の経つのは速いし、
その速い流れの中で世の中は大きく変わっている。

ジョン・レノン没後35年

12月9日、テレビを見ていたら、ジョン・レノン没後35年のニュース。

そう、そう。35年前の1980年12月8日に、ジョン・レノンは凶弾に倒れたのだった。当時のことが鮮やかに、というより、夢か幻のように思い出された。

僕は学生で、バンド仲間と新宿の居酒屋で飲んでいた。ジョン・レノン、ジョン・レノンと、その死を悼みながら。

その年は、ちょうどジョン・レノンが5年にわたる子育て休暇的な沈黙を破って、「ダブル・ファンタジー」というアルバムを出して盛り上がっていたさなかだった。

ジョン・レノンは40歳、僕は20歳だった。

それから35年たったわけだ。

田端文士村記念館に行ってきた

東京・山手線には29駅ありますが、乗降客のランキングを見ると、
新宿、渋谷、池袋、品川、東京というのがベスト5のようです。
で、下位のランキングは、25位の大塚から、田端、目白、新大久保ときて、
最下位は鶯谷とのことです。
この中で、私にまったく縁のないのが田端駅。
30年以上東京にいて、1度も降りた記憶がないので
先日、行ってみました。

田端など何もないのではと思いながら、
山手線を降りて、よく分からないまま南口を出たところ、
本当に何もなかったので驚がくしました。

いくらなんでも山手線の駅なのだから、
駅前には店の10軒、20軒はあると思っていたからです。
そこはいきなり崖上・高台の住宅街であり、
崖の下を山手線が走っていたので、その見晴らしのよさは
山手線駅前随一でしょう。
どうやら田端駅に沿って走る東北本線の西側が崖上、
東側が崖下という感じになっているようです。

気を取り直して北口に出ると、
アトレなどがありそれなりに賑やかでした。

すぐ目の前に『田端文士村記念館』がありました。
入場無料でした。

田端駅の西側(高台側)は明治から昭和初期にかけて、
多くの芸術家・文士が住み、文士・芸術家村の様相を呈していた。
それを記念して建てられた記念館とのことです。

パンフレットによると、
明治22年、上野公園の外れに東京美術学校(現東京芸術大学)が開校されたのがきっかけで、
その卒業生が同じ台地続きで便のよい田端に住んで活動するようになった。
そのうち直木三十五らの文士も集まり出し、
大正3年に芥川龍之介が転入してくると、室生犀星、林芙美子、
サトウハチロー、菊池寛、萩原朔太郎らの文人が多く移り住み、
『文士村』という状況になった、とのこと。

記念館には芥川龍之介や室生犀星らの自筆原稿など、
非常に興味深い資料が展示されていました。
芥川の手書き原稿を見ましたが、案外さらっと書いている。
推敲に推敲を重ねたという感じではないと思いました。

それより驚いたのは、ジオラマで見た芥川の晩年の住まい。
部屋が10ほどある屋敷で、先般見た漱石の家よりずっと立派でした。

芥川はこの家の2階の書斎で「唯ぼんやりとした不安」という言葉を残して、
かわいい盛りの幼い3人の子どもを残して、昭和2年に自死しました。
いまさらながら、なぜ? と思わずにいられません。

文学好きの方は行く価値がある記念館です。

田端文士村記念館

田端駅前にある田端文士村記念館