六義園に行ってみた

先日、ふと思い立って六義園に行ってみました。

六義園は、東京都文京区本駒込にある都立庭園です。
この庭園は、元禄8年(1695年)、五代将軍綱吉の家臣柳沢吉保によってつくられたそうです。

この辺り、江戸時代は鷹狩りなども行われる田舎だったようですが、
現在では山手線駒込駅からも近く、思いっきり都会の中にあるのです。

その街中にあって、まるでベルリンの壁のような、レンガの重厚な塀に囲われて、
一歩中に入ると、江戸時代を思わせるような風流な、時の流れを忘れさせる世界なのです。

広い敷地には、回遊式の築山や池、小さな滝、石が配置されており、
花の季節、紅葉の季節にはさぞ美しいだろうと思わせます。

この庭園の景色は、江戸時代から有名であった紀州の和歌の浦の景勝をモデルに作られたそうです。

小石川後楽園と並ぶ江戸の二大庭園の一つです。

明治の時代になると、三菱の創立者岩崎弥太郎が、六義園を買収し、岩崎家の別邸となり、その後、東京市に寄贈されました。

一周するのに20分もかからないですが、回り終えたところに、
峠の茶屋風のうらびれたような、土産物をおく店がありました。

そこで景色をながめながら、うどんを食べました。
食べながら、なぜか
大学受験に失敗し、電話で「ダメだった」と伝えたときの
父の残念そうな声を思い出しました。

あの頃の父は50歳くらいで、今の私よりずっと若かったのだ、
仕事は大変だったろうな、などと思いました。

すると、そんな習慣はまるでないのに、
俳句のようなものが浮かびました。

うどん食べ 父思い出す 六義園

季語がないから俳句にはらないか。

六義園

六義園

六義園

六義園

『それでも大丈夫 不安を力に変える方法』
(大嶋信頼著 1,400円+税 青山ライフ出版)
https://www.amazon.co.jp/dp/4434332848/

情報は物に意味を与え、この世を価値あるものにする

2023年
師走もはや半分が過ぎ、
クリスマスが近づいてきました。
この時期になると、
また一つ、歳をとる、と考えてしまいます。

この年末に

『情報の運び屋(上巻)情報の路』『情報の運び屋(下巻)情報の詩』
(大崎俊彦著 各1,350円+税 青山ライフ出版)が発刊されます。

この機会に情報について考えてみたいと思います。

情報とはなんぞや?

それは物に意味を与えるものです。

この世は、それ以上分割できない原子でできていることを見抜いたのは
古代ギリシアの天才デモクリトスです。

デモクリトスは、
「人は身体や財産によってではなく、心の正しさと思慮深さによって幸福になる」と言っています。

究極のブロックである原子の組み合わせで、この世ができているとして、
それらが偶然に頼ったデタラメの組み合わせで、
意味のあるものができるはずがない。

そこで情報が必要になるのです。

原子のブロックを、ある決まった順序、形態で組み合わせることで
あるものが生まれる。情報があるから可能になることです。

よく使われるたとえですが、
26個のアルファベットをデタラメに組み合わせても、
シェイクスピアのソネットは生まれない。
そして、この2つの間には、私たちから見ると、
その価値には雲泥の差があります。

その価値を創ったものは何なのか。
それはシェイクスピアの頭脳であり、
彼の感性、美意識を生み出した人間社会ということになります。

乱暴に言ってしまうと、
情報は物に意味を与え、この世を生み出し、
この世を価値あるものにする。

人間も、物質と情報の産物であり、
自ら情報を生み出し、それを伝え、残す。
まさに『人間は情報の運び屋』であると言えます。

損得で考えない藤井八冠

10月16日の日経新聞に
興味深い記事が載っていたので紹介します。

藤井聡太八冠に、王座のタイトルを明け渡した
永瀬拓矢前王座のインタビュー記事です。

永瀬前王座は、藤井八冠のすごいところとして、
集中力と、損得で考えないところ、と言います。

それは「人間をやめている」ように感じられるほどだと。

藤井八冠は、イベント出演といった対局以外の仕事を断って
ベストを尽くすのではなく、頼まれたら全部やる。
その上でベストを尽くす。

普通はパフォーマンスを発揮するために、余計な仕事を減らすなど、
環境を変えようとするが、
そういうことをしないのが永瀬前王座には、驚きだった、
ということが書いてありました。

昔、ある作家のドキュメンタリーを見た記憶が蘇りました。

その私小説作家(名前は忘れました)は、文学の鬼を自認しており、
よい作品を残すために、生活のあらゆる雑事を排除する環境を整えました。

よい作品を書くためには、雑用仕事はできないから
生活費を切り詰める必要がある。
そのために、家賃の安い公営住宅に住む。

そして、自分が机に向かうと、
奥さんは気遣って、何も言わずに家を出る。

そんな環境を築いたのですが、インタビューに答えて言うには、
「環境が整いすぎて書けなくなってしまった」

そんな内容でした。

藤井八冠にとっては、損得を考えずに、
イベント出演などを受けることが、逆によい刺激や気晴らしになり、
それがここ一番の集中力につながっているのかもしれません。

最初に情報があった

これは思いつきですが、
最初に情報があったのではないでしょうか。

現在の宇宙論では、
宇宙は無から突然、ビッグバンによって
宇宙が誕生したと説明しています。

この説明では、無から有(物質)が生まれ、
その有の中から、さまざまな偶然によって
われわれが生まれたように思ってしまいます。

しかし、この説明には無理がある。
スマホや時計が、50億年後に発掘されたとして、
偶然にできたものと認識されるでしょうか?

こんなに複雑なものが偶然にできるはずがない。
意図があり、設計図があったからできた。
そう考えるのが自然なのです。

スマホより遙かに複雑な人間が、
物質界の偶然の繰返しだけで生まれたと
考えるのはもっと無理があります。

よって、最初に情報があったのです。
将来、人間やその後に続いていくものが
生まれるような情報があった。

そこから、ビックバンによって時空や物質などが生まれた、
と考える方が自然ではないでしょうか?

なにかあったらどうすんだ症候群  同感!

陸上の為末大さんが提起した
「なにかあったらどうするんだ症候群」が話題になっています。

何か新しいことをやろうとすると、反論される決まり文句がこれ。

「なにかあったらどうするんだ。責任をとれるのか」
と言われて、その試みは、はい、おしまいとなる。

日本停滞の原因は、これではないかと思う。

世界はどんどん変わっているのに、新しいことにチャレンジしないのだからおいて行かれるのは当然。

日本がかなり重症なのは、コロナ対策を見ればわかる。

情勢は日々変わっているのに、同じことを延々と繰返し続ける。

リスクの大きさと、その対策に要するコスト、そのバランスはきちんと考慮されているのだろうか。

1の事象には1の反応、
10の事象には10の反応をするのがバランス感覚で、非常に重要。

1の事象に10の反応をしていると、世の中おかしくなる。

お金で言うと、
1万円のものを10万円で買うようなもの。

これを続けると、どうなるか?

当然、貧乏になる。

それ以上に深刻なのはメンタル。
とても息苦しい社会になっている。

「なにかあったらどうするんだ。責任をとれるのか」が怖くて怖くてしょうがないとなればバランス感覚も働かない。

この状況を突破できる人も少ない。

なぜこうなったのか。

戦後、国全体が焼け野原から復活していく過程ではあった活気が、豊かになりきった今では失われ、失う恐怖ばかりが拡大しているからだろう。

つまり日本全体が「平安貴族」みたいになっている。

歴史を顧みれば、軟弱な平安貴族は没落し、やがて武士の時代になるのだが、これを令和に置き換えると、どういうことになるのでしょうか。

自走する組織の作り方

メンタルを強くする考え方

メンタルの強い人は、悩み事は大したことではないと知っているそうです。

私たちを悩まし、怖がらせ、不安にさせることはとても多いですが、
冷静に、理性的に考えると、実は大したことではない。

命の危険が身近にあった大昔の方が、
ずっと大変だったと思うのですが、
では古代人は、現代人より、もっと悩んでいたのでしょうか?
どうも、そうは思えない。
つまり現代人の悩みの種は、ほとんどが些末なことなのです。

私たちは常に悩んでいますが、10年前は何に悩んでいたか?
5年前は何に悩んでいたか? 1年前は?
と考えても、よく思い出せません。

つまり時が経てば、ほとんどが忘れてしまう程度のこと。

常に変化する世の中にあって、
悩み事だけが変化しないなんてことはあり得ない、
なるようになる。

そう考えれば、スッキリします。
多くの人はすでに知っていることです。

しかし、しかし、そうは言ってもなのです……

やはり人間ですからトラブルは嫌ですし、悩んで、
食事も咽を通らない、眠れない、という状況になります。

冷静な自分は大したことではないとわかっていても、
トラブルに対して瞬時に立ち上がるのは感情で、
感情はどうしても極端に走るものだからです。

だから感情を制御する技術が必要になります。
呼吸法とか、瞑想、マインドフルネスなどなど、
いろいろありますが簡単なことではありません。

特に辛いのは、悩み事、トラブルなどが、複数重なる時。

1つでも嫌なのに、2つとか、3つとかになると
不安の感情に押しつぶされそうになります。

そんな時は、耐えるしかないのですが、
いっぺんに何とかしようなどと考えないこと。
苦境に耐えながら、
1つずつ、目の前のことから対処していきます。

1つ、1つ、対処していくうち、
やがて時が流れて、
それも過去のことになっていくものです。

人生、よい時もあれば悪い時もある。
喜んだり落ち込んだりの波を避けるのは不可能です。
永久に平穏など、あり得ない。

そうした中で心をできるだけ平穏に保つには、
振幅を小さくするように心がけることです。

よい時に浮かれすぎず、悪い時に落ち込みすぎない。

辛い時は、こう考えましょう。
「悪いことの中にも、よいことがある」

これは時が過ぎて気づくことです。
10年前、20年前、30年前、振り返ってみて、
「あの時は本当に辛かったけど、あの経験があったから今があるなあ」
と思うことはないでしょうか。

よいことも悪いことも100%ではなく、
微妙に混ざり合っているように思うのです。

迷ったときの人生のトリセツ

コロナ後の世界

コロナ後、世の中はどうなっていくのか。

コロナはこれまで進行してきた社会の流れを加速している。

IT巨大企業のGAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)は、
コロナ禍でも逆に業績を伸ばしているのがその表れ。
世界のIT化はますます加速する。

IT化するとスピードがアップし、余計な枝葉がなくなる。

印鑑不要など、不合理なことを排除する圧力が強まる。
リモートワークの普及もそう。
家でできることは家でやればいい、というわけだ。

結果、人々はあまり出歩かなくなり、「ひきこもり」は普通になるのかもしれない。

すると自由な時間が多くなる。
その時間に何をするか。
さまざまな分野でさまざまな作品を生み出す人が増えるだろう。

その作品はデジタルのものが増える。
電子書籍もその一つだが、絵画、動画、その他、新しいデジタルがどんどん生まれる。

それらを見るための端末が進化する。
ネット、スマホの進化がさらに加速するだろう。
ウイルスに関しては、長い付き合いになる。
今回のコロナが制圧されても、別のウイルスが出てきて、そのたびに対応を迫られるだろう。

戦争や暴力など、目に見える脅威は減っていくが、
このような見えない脅威に振り回される。

脅威そのものより、反応する人間社会のごたごたに振り回される
ことが多くなる気がする。

 

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ウイルスの大きさと小さな世界

相変わらずの日々ですが、お変わりないですか?

こうしたご時世ですので、弊社でもリモートでのお打ち合わせが可能な

ZOOMでの出版相談を行っております。

原稿に関するアドバイスなどもできますのでいつでもお気軽にお声かけください。

さて、毎日のように、コロナウイルスの話題であふれています。

けれど、実際に目で見たことはないのです。

肉眼で確認したという話は一度も聞いたことがないので
おそらく、見た人はいないのだろうと思います。

ウイルスは小さくて見えないらしいのですが、どれくらい小さいのか、
自分の実感として理解したくなったので調べてみました。

ネットで調べると以下のような説明がありました。

アリの10ぶんの1がダニ。
ダニの10ぶんの1がスギの花粉。
スギ花粉の10ぶんの1が大腸菌。
大腸菌の10ぶんの1がインフルエンザウイルス。
別の表現ではこうです。

砂粒の1000分の1が細菌。
砂粒の10000分の1がウイルス。
ウイルスの大きさは一般的に0.1マイクロメートル以下だといいます。
1マイクロメートルは1000分の1ミリなので、
ウイルスは10000分の1ミリということになります。

この大きさを具体的に想像するために髪の毛と比較してみます。

髪の毛の太さは0.1ミリ程度。
ウイルスは髪の毛を1000分割した大きさです。
そう言われれば、何となく想像できるような気がします。

どんなに目立つ色を付けても、見えそうにないのがわかります。

 

ちなみに、もっと小さい世界。

原子はウイルスの100分の1から1000分の1くらいのようです。

そして原子核は原子の10000分の1です。

話はさらに脱線してしまいますが、

原子核をリンゴの大きさにしたとき、
原子は直径10キロの大きさになるそうです。

原子核をピンポン球として東京ドームの中心に置いたとき、
電子は外野席のあたりを漂い、回っている。
それが原子のイメージです。

つまり、
原子でできている物質の世界はスカスカなのです。

どうりで、どこにいてもスマホがつながるわけです。

 

脳によい環境と悪い環境

先般、「フリーズする脳」について書いたところ、
反響が大きかったので、続編ということで、
脳によいと思われる行動と、よくないと思われる行動を箇条書きしてみます。

●脳によい行動や環境

・部屋の片づけ
高次脳機能維持する基礎的なトレーニングになる。

・目標を持つ
あれをしたい、これをしたいという目標があれば、人は脳を使う。
やる気を失い、反射的、依存的な生活になると脳を使わなくなる。

・新鮮に感じることを多く持つ

・目がよく動く

・立体感が感じられる環境に接する

・会話する
会話は、脳のいろいろな場所を多く活用する必要がある。

・歩く

・読み書き、音読する

・思い出す努力をする

・ラジオを聴く

●脳に悪い行動や環境

・ネット依存
能動的に使うのではなく、やる気がなくて惰性的に見るのはよくない。

・出来上がりすぎている環境

・単純化されすぎた生活

・目を動かさない

・一日中テレビを見ている

・一日中パソコンに向かっている

・機械であることを求められるような仕事

 

このように書いてみると、
コロナ禍の環境は脳にはよくないのがわかります。
ステイホーム、話さない、出かけない、、、
感染防止のための自粛は、脳の健康とは正反対の環境なのです。

それでコロナ感染は防げたとしても、
脳の健康、心身の健康という視点で考えると、
非常に大きな負債を抱えることになる気がします。

ブロックチェーンの暗号

ブロックチェーンの暗号について、自分なりの理解で書いてみます。

暗号といえば、私などはエドガー・アラン・ポーの「黄金虫」を思い浮かべます。
数学的な推理のおもしろさに黄金虫という昆虫が絡んだ神秘的な物語に衝撃を受けたものです。

コンピュータ時代、実務で使われる暗号は、「黄金虫」のような謎解き的なものではないようです。暗号には素数が使われます。
謎はわかっており、あとは解く力があるかどうかが問われる実務で、素数の暗号が非常に便利な特性があるからです。

素数とは、1とそれ自身でしか割り切れない数のことです。

30以下の素数を挙げると、

2、3、5、7、11、13、17、19、23、29です。

ちなみに1は素数ではありません。

ブロックチェーンの暗号は、公開鍵と秘密鍵の組み合わせでつくられます。

たとえば、23と29という2つの素数を掛け合わせると

23×29=667 となります。

ちなみに667は、1とそれ自身以外でも割り切れたので素数ではありません。

この場合、667が公開鍵、23と29が秘密鍵となります。

23×29が667だということは、電卓ですぐに解けますが、
667が23と29の掛け合わせだということは、素因数分解してみないとわかりません。つまり時間がかかります。ここがミソです。

192896999171(公開鍵)という数が公開されても、
それが323123と596977(秘密鍵)の掛け合わせだと、わかるには時間がかかります。

コンピュータの時代なので、実際に使われている秘密鍵の桁数は数千桁にもおよびます。

これだけの桁数になると、人力ではどうにもならない。紙とペンを持つ気にもなりませんね。
効率よく答えを出す方法がないので、コンピュータはこの暗号を解くために、
総当たり戦法をとります。
2で割ってみて、3で割ってみて、5で割ってみて、、、
と順番に、まさに力ずくで、秘密鍵を探り当てるわけです。

自転車の鍵の暗証番号を0000から9999まで回してみるようなものです。

これを数千桁の数字でやらされるのだから、いかに専用の超高速マシンでもたまったものではありません。電気代が大変なコストになっているそうです。

よってこの作業をマイニング(採掘)と呼びます。

理論的には、秘密鍵の桁数はどこまででも増やせるので、解読に数万年、数億年かかる暗号をつくることも可能なのです。

宇宙が終わるころ解ける暗号をつくってどうするの? という話ですが、、、、

ビットコインではマイニングに10分程度かかるほどの難しさの暗号にして、
一番早く暗号解読(マイニング)した者に、褒美のコインが与えられる仕組みになっています。

暗号が簡単すぎると、同時に解かれるケースが出てきて混乱するし、難しすぎると非効率になる。桁数の調整で、難しさを調整できるので、非常に使い勝手のよい暗号法なのです。

 

使わないものは無くなる

私が2021年の年頭に受けた啓示は、

『使わないものは無くなる』ということです。

テレビを見ていたら、深海を泳ぐ魚が出てきました。
その魚には目がありませんでした。

真っ暗な深海という環境では、目を開けても何も見えない。

目を使わないでいるうち、目が無くなったのです。

なるほど、『使わないと無くなる』のだな、深く納得しました。

たしかに、筋肉も使わないと細っていくのは、日常的に体験しています。

生き物はそういう仕組みになっており、どうもその変化のスピードは、思っている以上に早いのではないかと思います。

人間の身体の7割は水分であり、その細胞は常に入れ替わっていることを考えても、
ちょっとした環境の変化で、どんどん変わっていくのはあり得ることです。

と、そこまで考えた時に、気になったのは脳のこと。

これも使わなくなると、たちどころに、その部分の機能が無くなるようなのです。

そんなことを考えているおり、
『フリーズする脳』(築山節著 NHK出版)を読んで、ますます納得しました。

著者は脳神経外科医の経験から、普通の人たちがボケていく例を数多く見てきたので、その解説は非常に説得力がありました。

やはり環境の影響が非常に大きいのです。

たとえば、20代の頃は職場の最前線で顧客対応にあたっていた人が、
30代になって出世し、部下にその面倒な仕事をさせるようになる。
すると、昔はできていたはずの臨機応変な対応ができなくなる。

頭は使っているはずの50代後半の大学教授。
人前で話している最中に何を話しているのかわからなくなったり、よく知っているはずの人の名前が思い出せなくなったり、メモしても、そのこと自体を忘れてしまったりする。
このような事例は、思い当たる方も多いかと思います。

若い頃は最前線に立たされて、臨機応変な対応をしたり、新しいことに次々とチャレンジしたりして、知らず知らずに脳の思考系を多用しているのです。

それが年齢を重ね環境が安定してくると、思考系を使わなくなり、反射的、パターン的になってきて、そしてボケていくようです。

生活が苦しくて、あれもやらなければ、これもやらなければ、という環境にあった頃、実は脳細胞は非常に活性化されており、やる気に満ちあふれている。
もっと時間があれば、もっとできるのにと思っています。

ところが生活が安定し、面倒なことから解放され、時間の余裕もたっぷりある環境になってみれば、脳の基本回転数も下がるため、昔あったはずのやる気はどこへやら、となります。
やる気も、本人の意志ではなく、環境次第なのです。

人生、思うようにはいかないものです。
けれども、そういう状況にあるということを客観的に理解できれば、対処法はいくらでもあります。

『フリーズする脳』には、次のように書いています。

「結局のところ、脳の若さというのは、思考系を使って解決しなければならない問題や、興味があること、新鮮に感じることをいくつ持っているかということだと思います。それをたくさん持っている人の脳は何歳になっても若いし、それを失ってしまっている人の脳は、若くても老いている……」

結局、話は戻りますが、
「使わないものは無くなる」のだから、無くしたくなければ使い続けるしかないのです。

思えば、文章を書くというのは、非常に高い思考力が求められます。

高齢になっても文章を書き、さらに本にして出版までするというのは
並大抵のことではないと思います。

高齢の著者を尊敬する所以です。

暗号通貨 ネット上に完全な台帳があったなら

お金に関する技術が大きく変化している。
何がどうなのか?
技術の詳細はわからないにしても、自分なりに、どのように理解したらよいのかを知りたい。
そこで、自分なりの理解をまとめてみる。

お金というのは、これまで便宜的に紙幣やコインを使ってきたけれども、
結局は数字のやりとりである。

数字のやりとりが間違いなく、誰もが使える信用できる記録(台帳)があればよいのだ。

ということで、昨今はスイカとか、WAONとか、さまざまな電子マネーが普及し、使用されている。
これらの電子マネーは、大手企業、銀行などの信用によって裏付けられている。
つまり信用できる記録(台帳)を管理する人がいて使用できているのだから、技術的に目新しいものではない。

ビットコインに代表される暗号通貨(資産)と言われるものは、管理者がいなくても技術で信用あるお金のやりとりを実現させようとするものであり、これらの電子マネーとは次元の違うものである。

その技術とはいかなるものか。

数字のやりとりが間違いなく、誰もが使える信用できる記録(台帳)を、イメージするためにエクセルシートがネット空間にあると想像する。

そのエクセルシートには、われわれ一人ひとりが、いつ誰にいくらか支払ったか、入金されたか、残高はいくらか、すべてもれなく記録してあるのだ。

もしも、世界人口77億5000万人全員が絶対にごまかしをしないのであれば、
その巨大エクセルシート1つあれば、すべて事足りる。

そこには、全人類の固有番号が割り当ててあり、すべてのお金のやりとりが、瞬時に記録されるので、決済は自動的に一瞬にして終わる、と夢想する。

しかし、誰もがアクセスできる台帳でありながら、絶対に不正がされない、はありえない。
そこで考え出されたのが暗号。
暗号によって、簡単に書き換え、複製などをできなくし、特定の取引で、特定の相手にだけ、特定の書き換えが許されるような仕組みが考え出された。
それが暗号通貨で、その仕組みはブロックチェーンと呼ばれる台帳。

なぜ、こう呼ばれるかというと、新たな取引記録のブロックが、チェーンのように
次々と数珠つなぎになっていくからだという。

イメージとしては、エクセルシートに新たな行が次々と追加され、ファイルが更新されていくような感じである。
それはいかなるものか?
よくわからないが、考え方としては、こういうこと。

唯一の正しい台帳があって、それと照合して合わない数字のやりとり、取引は受け付けない仕組みがあれば、不正が排除できるから通貨として通用する。

ネット上にあるエクセルシートを想像してみればわかるが、これを実現するには
強力な暗号の仕組みが不可欠であろう。

その暗号とは、どんなものなのか?
それはまた後日……。

 

今を感じる

コロナウイルスでもうあっという間に、世界中が大騒ぎ。
本当に何が起こるかわからないですね。

インターネットが普及して間もない頃、
1995年くらいでしょうか。
これで世界が一つの小さな村になってしまった。
と言われましたが、本当にそうなりました。

情報が、昔だったら小さな村に広がる速さで
今は世界中に広まってしまう。

よい情報だけならよいですが、そうもいかない。
そういうわけで日本の片隅で細々と生きているだけなのに、
世界中の刺激的な情報を浴びて、
落ち着かない日々を過ごすことになります。

ただ、どんなときにも忘れてはならないのは、
目の前にある自分の今。
そこは静かであり、日々、ゆるやかに時が流れているだけです。

自分という生身の人間は、そうそう簡単に変わることはできず、
昨日、今日、明日と、一日一日を繰り返すだけ。

限りある人生ですが、
せめてその時までは健やかにいきたいですね。

こんな時期ですので、くれぐれもご自愛ください。

時間について

最近、時間について哲学的に考察する本を読んだのですが、
とうも、考えれば考えるほど、時間というものは奇妙で、
とらえどころのないものに感じられます。

私たちは過去・現在・未来という区別をしますが、
現在って、いつでしょう?
今、この一瞬といっても、次の瞬間には過去になっています。

そして、過ぎ去った過去は、いったいどこへ行ったのでしょうか?

過去は消えたのでしょうか?
それとも、宇宙のどこかに残っているのでしょうか?

まだ来ない未来は、どこにあるのでしょうか?
それとも、どこにもないものでしょうか?

時間という実体があるのではなく、
私たちの脳が時間の流れを感じるようにつくられているだけ
という説もあります。

なるほどと思いますが、時間がないのであれば
宇宙もなく、宇宙がなければ脳もないのでは……と思うのです。

宇宙論では、140億円前にビッグバンによって宇宙は誕生した
ことになっていますが、このビッグバンを幻想の始まりと
解釈するなら、つじつまが合うのかもしれません。

時間によって成り立つ幻想の世界が誕生し、
その世界で生まれた私たちなので時間を感じているのです。

本来は時間も空間も光もないのかもしれません。

すべてが幻想ですから、
色即是空、空即是色となるのでしょうか。

伊藤桂一先生の思い出

直木賞作家の伊藤桂一氏が10月29日に亡くなった。
99歳で老衰とのこと。

新聞の夕刊で訃報記事を見つけ、はっとした。
オートバイを四谷駅近くの広い歩道に止めた時の
風景や空気感まで、30年前のことが蘇った。

30年前、小説家養成講座に通っていて
そのメイン講師が伊藤桂一先生であった。

その頃すでに、私からすると優しいおじいさんという感じであった。
講座とは別に、稚拙な手書き原稿用紙を渡したところ、
わざわざ丁寧な感想を書いて返送してくださった。

考えてみれば、私のつたない小説を読んでくれた唯一のプロ作家であったが、
生意気で無礼な若者であった私には、
そのありがたみがよく分っていなかったのが悔やまれる。