世界の偉人を年表化
「世界人物年表」(重田憲三監修 青山ライフ出版)はその中から現代の人類に最も影響力があったと思われる500余名を年代・分野・地域別に整理し、年表化した画期的な人物年表である。この年表を活用すれば、その時代に誰が何を成し遂げたのか、その人物がどんな時代を生きていたのか、その時代にどんな人物がいたのか、人物同士の接点はあったのかなど、100年、200年規模の俯瞰的な視点で人類史を見ることができる。
ユリウス・カエサル
今回はユリウス・カエサル(英語名:ジュリアス・シーザー)を挙げる。
古代ローマの政治家、軍人、著述家。 紀元前100年7月、ローマ生まれ。「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」「ブルータス、お前もか」などの引用句でも知られる。彼が布告し彼の名が冠された暦(ユリウス暦)は、紀元前45年から1582年まで1600年間以上、欧州のほぼ全域で使用され続けた。
(Wikipediaより)
ユリウス・カエサル(BC100~BC44)のプロフィール
〇カエサルは色々な言葉を残している。切開手術で生まれてきたので、後に彼の名をとり「帝王(カエサル)切開」とした。また7月はカエサルの生まれが7月13日であることから英語のJuly、つまりユリウス(Julius)の月からきている。その他敵軍を破った時、ローマの元老院に送った「来た、見た、勝った」は有名である。また「ブルータスおまえもか、わが子よ」と言う言葉は暗殺団のなかにブルートゥスの姿を見て、カエサルが最期に言ったとされる。その他、国境ルビコン川まで進軍し、川を越えれば国法違反となり、悩んだ末、「賽は投げられた」と叫び、進軍した。後戻りできない重大な決断や行動を起こすとき、「ルビコン川を渡る」という慣用句になった。
〇カエサルは貴族の家ユリウス家に生まれた。知性は高く、豪放磊落で勝負師的な気質があった。8、9歳頃から家庭教師をつけ、ラテン語から国際語のギリシャ語・数学・歴史・地理などをガリア人から教わった。
〇14歳で軍役につき輝かしい戦果をあげた直後、22歳でローマに戻って弁護士を開業するが、不正蓄財の罪で告発されたため、再びローマを追われた。その後、アジアの戦役に加わったあと、ローマに呼び戻され空席となった神官に27歳で任命された。政界デビューのあしがかりとなり、31歳で財務官、続いて35歳で按察官、法務官を経験し、40歳で執政官になる。
〇カエサル、ポンペイハウス、クラッススの「三頭政治」が始まった。「農地法」など難しい法律も制定させ、政治家の力量を見せつけた。翌年、北方の属州ガリアの総督に任命された。8年間、ヘルヴェティ族やベルガエ人、ゲルマン人を撃破しガリアの大半を平定した。ルビコンを渡ったカエサルは立ち止まらなかった。内戦を制し、地中海世界最強の軍隊を築いた。その後暗殺団に殺されるが、現在のヨーロッパの礎を作った。カエサルは後世の出版物に影響を及ぼし造本物や新聞も発明している。
〇カエサルの言葉–人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲することしか見ていない。