世界の偉人を年表化
「世界人物年表」(重田憲三監修 青山ライフ出版)はその中から現代の人類に最も影響力があったと思われる500余名を年代・分野・地域別に整理し、年表化した画期的な人物年表である。この年表を活用すれば、その時代に誰が何を成し遂げたのか、その人物がどんな時代を生きていたのか、その時代にどんな人物がいたのか、人物同士の接点はあったのかなど、100年、200年規模の俯瞰的な視点で人類史を見ることができる。
孔子
今回は孔子を挙げる。
春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。儒教を体系化し、一つの思想として昇華させた。その根本は「仁(思いやり・いつくしみ)」で、これによって道徳は保たれるとした。
(Wikipediaより)
孔子(BC552?~BC479?)のプロフィール
〇母親の名前は顔徴在(がんちょうざい)20歳、父親の名前は孔紇(こうこつ)60歳、年の差40歳の子として、孔丘(こうきゅう)という名前で後の孔子が生まれた。
〇孔子が17歳の時には父母とも亡くなっており、生活も厳しい状況であった。19歳の時妻を迎えることになり、相手は幵管(けんかん)氏という娘であった。
〇地方の小役人になった頃、孔子のもとにすこしずつ教えを請う人がやってくるようになった。教育者・孔子の始まりである。そして、孔子は51歳にして魯の家臣となり地方の知事や首都の市長に相当するとされる「中都の宰」という地位に就いた。就任後1年のうちに優れた業績をあげたことから「司空(しくう)」という建設大臣に相当する地位が与えられた。さらに、翌年司法の最高責任者である「司寇(しこう)」へと昇進する。
〇魯の宰相として、孔子は物価安定、秩序回復に成果をあげたとされる。その一方、城の破却、政敵の粛清といった苛烈な面も見せた。孟孫氏は明らかに不満を見せていた。孔子の政界での活躍できたのは、ほんの数年にすぎない。短い栄光の後には、長くて厳しい流浪の日々が待っていた。
〇孔子は14年の放浪をした。弟子が減っても不思議ではなかったが、かえって行く先々で新たな弟子を獲得した。それほどの魅力的な人物だったといえる。
〇「論語」は孔子を語るうえで欠かすことのできない書である。この書は孔子と弟子たちとの対話を書き留めたメモのような記録を編集したものである。「論語」は学而篇から堯日篇まで20篇に分れ各篇の名前はおおよそ最初に出てくる2文字から取られている。キーワードは「君子」だけではない。「徳」「仁」「学」「礼」「孝」「知」「義」などである。なかでも「仁」が孔子の生涯の追求するメインテーマであったと思われる。
〇孔子の言葉–故を温ねて新しきを知れば以て師為るべし –義を見て為ざるは勇なきなり