闘病記を残す
助け合いの連鎖
闘病記といってもいろいろあります。
病気になった本人が書くものもありますが、妻や夫を最期までみとった後に書かれるものが多いようです。
愛するパートナーを失う悲しみはたとえようがなく、「病気になった本人より、見送るほうがもっと辛い」とは、ある著者の言葉です。
では、なぜそんな辛い体験を書くのでしょう。
それによって癒される面もあるようです。
何かをやることで気がまぎれるし、一人ではかかえきれない気持ちを書くことで、吐き出せることもあるでしょう。
また同じ体験をした闘病記を読むことで助けられた体験を持つ人が、今度は自分が本に残して誰かの力になりたいと、本にするケースもあります。
こういう動機で多くの闘病記が出版されることはある意味、助け合いの連鎖のようなものかもしれません。