『テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?』
(ケヴィン・ケリー著 みすず書房)を読んだ。
本書はテクノロジーの進化そのものをテクニウムと名ずけて、その本質を考察している。視点のスケールがとても大きい本である。
人類は石器から始まって、鉄、農業、機械、自動車、コンピューター、インターネット、人工知能とテクノロジーを進化させてきたが、一体このテクノロジーの進化(テクニウム)とは何なのか?
人類は自分たちがすべてを作り出してきたように思っているが、本当にそうだろうか。
そこにはもっと深い何かがありそうだ。
科学技術に関しては確かに人類が生み出し、進化させて来たものだが、
その進化を自分たちの意思で止めたり、後退させることができるだろうか?
たとえば人工知能が人間を超えそうになったとき、危機感を抱いた人間が、
人工知能の進化を意図的に止めたいと思うかもしれない。
しかし、それは不可能なのだ。
進化系統樹の人類の先に人工知能が来ることになっているのであれば、それは避けられない。
なぜなら、テクニウムはそれ自体が生命の法則であり、宇宙の法則だから。
この本を読むとこんなことを考えさせられる。
ビッグバンの瞬間から、すべて決まっていた。
さまざまな元素が生まれ、光が生まれ、物質が生まれ、生命が生まれ、生命が進化し、人類が生まれ、人類が人工知能を生み出し、人工知能がさらに高度な何かを生み出し、と進んでいく。そして、その進化の最終形である何者か(神?)が、また新たな宇宙をつくるのでは? なんてことを。