前回、JR両国駅の北側を紹介したので、今回は南側を紹介する。
こちらはまた歴史記念碑の宝庫で、10分ほど散歩するだけで
いろいろなものを目にすることができる。
駅を出て京葉道路を渡り、1区画入っていくと両国公園があるが、
この辺り一帯にさまざまな跡がある。
まず両国公園内に「勝海舟生誕の地」の碑がある。
この公園の向かいに、芥川龍之介が通っていた両国小学校があり、
「芥川龍之介文学碑」がある。
碑文によると、
芥川は1892年に東京市京橋区入舟町で生まれたが、
母ふくが生後七ヶ月で発病したため、
本所区小泉町(現在の両国)に住んでいたふくの兄に引き取られ、
やがて芥川家の養子になったとある。
芥川の母は精神を病んだのである。
生まれてすぐに外に出されるというのは、
昔は多かったのかもしれないが、夏目漱石と同じである。
後に精神の病で苦しんだところまで芥川と漱石は似ている。
「芥川龍之介文学碑」のすぐ先に忠臣蔵で有名な「吉良邸跡」がある。
元禄15年(1702)12月14日に赤穂の四十七士が討入りしたその場所である。
当時ははるかに巨大な屋敷だったが、
現在残されているのは邸内の「吉良公 御首級(みしるし)洗い井戸」を中心に、
有志が東京市に寄贈した一画だという。
今となってはビルの谷間にある30坪ほどの公園だが、
格式ある「なまこ壁」の中に入ると、園内には吉良上野介義央(よしひさ)の座像、
みしるし洗い井戸などがあり、江戸時代の雰囲気が味わえる。
忠臣蔵では悪役に仕立て上げられた吉良上野介だが、
地元の愛知県西尾市吉良町での評判は高く、
慕われる殿様であったという。
両国は「江戸」を感じさせる一帯で、
ちょっと散歩するにはよいところだ。