JR両国駅の北側に両国国技館や江戸東京博物館があるのはご存じの方が多いだろうが、その裏手にある「横綱町公園」はあまり知られていないと思う。
この公園は「被服廠跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」とも呼ばれている。
かつての被服廠跡であって、
現在は東京都慰霊堂と東京都復興記念館がある公園である。
東京都慰霊堂には関東大震災による死者約5万8000人と、東京大空襲の死者約10万5000人、あわせて約16万3000体の遺骨が安置されている。
中に入ると、木片の短冊があり、
「これからの人生に夢をもっていた多くの人が亡くなりました、そのことを思ってあなたの夢を書いてください」とあった。
3.11の大震災から5年、多くの悲劇を見てきたが、その何倍もの痛ましいことが、まさにこの地で起きたことを改めて認識させられた。
復興記念館は関東大震災の惨事を長く後の世に伝えるために昭和6年に建てられた年輪を感じさせる建物で、こちらも無料で入館できる。この展示には衝撃を受けた。
この被服廠跡で関東大震災による最も痛ましい惨事が起きた。
たまたま避難に適した広場であったことから地震後、大八車に布団などの家財道具を積んだ周辺住民が4万人あまり避難してきていた。
狭い公園が人と家財道具で埋め尽くされた状態であった。
そこに、隅田川対岸の火災の火が強風にあおられ、渦を巻いて飛んできたのだ。
あっという間に四方八方火に囲まれ、逃げるに逃げられず、ほぼ全員、
3万8000人が犠牲になった。その惨状は想像を絶する。
関東大震災は1923年。
東京大空襲は1945年。
そして今、この惨劇の現場は、
立て続けに起きた東京の大惨事の追悼記録として残っている。