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青山ライフ出版 代表取締役。青山ライフ出版は東京都港区にある出版社。自費出版、社史制作などに力を入れている。実用書、エッセイ、小説、詩集、絵本、写真集など幅広い出版物を発刊している。

『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる』を発刊

6月29日、弊社は『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる』
(中野真作著)を発刊しました。
これは弊社が企画出版本のためにつくったブランド、
SIBAA BOOKS(シバブックス)の最初の本になります。

amazonの人文・思想 > 哲学・思想 > 形而上学・存在論
部門でいきなり1位になるなど、大変な注目を浴びています。

日々のニュースなどを見ていると、
世界はすさまじい勢いで変化しているように感じますが、
本当の変化は人間の内部、
意識に起きているのではないかと思うことがあります。

「今、多くの人が目覚め始めています」の一文で始まる本書は、それを示す一例です。

「自分とはこんなもの」
「世界とはこんなもの」
「人生とはこんなもの」
と多くの人が思っている思い込みが緩み始めており、
自分がこの世に存在する、その裏には何があるのかに
気づき始めているのです。

また本書には
―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー―
というサブタイトルにあるように、癒やしについても
多く書かれています。

そもそも「私」という思考が苦しみの原因なのだ、と言います。
もっとかみ砕いて言うと、この皮膚に包まれた私という小さな存在が、自分の力だけで、このわけの分からない世界の中で生きていると思い込んでしまっているのが苦しみの原因なのだ、と説いています。

ご興味のある方は、下記をご覧ください。

http://tinyurl.com/gwc244d

芥川龍之介が通っていた小学校

前回、JR両国駅の北側を紹介したので、今回は南側を紹介する。
こちらはまた歴史記念碑の宝庫で、10分ほど散歩するだけで
いろいろなものを目にすることができる。

駅を出て京葉道路を渡り、1区画入っていくと両国公園があるが、
この辺り一帯にさまざまな跡がある。
まず両国公園内に「勝海舟生誕の地」の碑がある。
この公園の向かいに、芥川龍之介が通っていた両国小学校があり、
「芥川龍之介文学碑」がある。
碑文によると、
芥川は1892年に東京市京橋区入舟町で生まれたが、
母ふくが生後七ヶ月で発病したため、
本所区小泉町(現在の両国)に住んでいたふくの兄に引き取られ、
やがて芥川家の養子になったとある。

芥川の母は精神を病んだのである。
生まれてすぐに外に出されるというのは、
昔は多かったのかもしれないが、夏目漱石と同じである。
後に精神の病で苦しんだところまで芥川と漱石は似ている。

「芥川龍之介文学碑」のすぐ先に忠臣蔵で有名な「吉良邸跡」がある。
元禄15年(1702)12月14日に赤穂の四十七士が討入りしたその場所である。
当時ははるかに巨大な屋敷だったが、
現在残されているのは邸内の「吉良公 御首級(みしるし)洗い井戸」を中心に、
有志が東京市に寄贈した一画だという。

今となってはビルの谷間にある30坪ほどの公園だが、
格式ある「なまこ壁」の中に入ると、園内には吉良上野介義央(よしひさ)の座像、
みしるし洗い井戸などがあり、江戸時代の雰囲気が味わえる。

忠臣蔵では悪役に仕立て上げられた吉良上野介だが、
地元の愛知県西尾市吉良町での評判は高く、
慕われる殿様であったという。

両国は「江戸」を感じさせる一帯で、
ちょっと散歩するにはよいところだ。

両国駅前の案内板

両国駅前の案内板

 

 

芥川龍之介文学碑2

芥川龍之介文学碑2

 

芥川龍之介文学碑

芥川龍之介文学碑

 

吉良邸跡

吉良邸跡

 

作家デビューの裏技?

2015年6月に発刊された
『君の膵臓をたべたい』(住野よる著 双葉社)
が今年の本屋大賞にノミネートされ、45万部も売れているという。

このタイトルにはギョッとさせられるが、
実はそれが本書でデビューした作者の戦略だった。

ライトノベルの賞で選考委員の目に留まらせるために、
あえて気持ち悪い題名にしたという。

内容は青春小説なのだが、ありきたりのタイトルをつけていたら、無名の新人ではスルーされてしまう可能性もあるし、デビューしたとしても、ここまでの結果はなかったろう。

もちろん実力がなければ話にならないが、
デビュー作をベストセラーにまでしてしまう作家は、
したたかさにおいても並ではないのだろう。

タイトルの力は大きい。
「えっ、どんな話なの?」と読まずにはいられない。

それで期待を裏切らない内容であれば、
戦略が見事当たったということなる。

ここにデビュー戦略、ヒット戦略のヒントが
つまっているような気がする。

被服廠跡の悲劇

JR両国駅の北側に両国国技館や江戸東京博物館があるのはご存じの方が多いだろうが、その裏手にある「横綱町公園」はあまり知られていないと思う。

この公園は「被服廠跡」「東京都慰霊堂」「東京都復興記念館」とも呼ばれている。
かつての被服廠跡であって、
現在は東京都慰霊堂と東京都復興記念館がある公園である。

東京都慰霊堂には関東大震災による死者約5万8000人と、東京大空襲の死者約10万5000人、あわせて約16万3000体の遺骨が安置されている。

中に入ると、木片の短冊があり、
「これからの人生に夢をもっていた多くの人が亡くなりました、そのことを思ってあなたの夢を書いてください」とあった。
3.11の大震災から5年、多くの悲劇を見てきたが、その何倍もの痛ましいことが、まさにこの地で起きたことを改めて認識させられた。

復興記念館は関東大震災の惨事を長く後の世に伝えるために昭和6年に建てられた年輪を感じさせる建物で、こちらも無料で入館できる。この展示には衝撃を受けた。

この被服廠跡で関東大震災による最も痛ましい惨事が起きた。
たまたま避難に適した広場であったことから地震後、大八車に布団などの家財道具を積んだ周辺住民が4万人あまり避難してきていた。
狭い公園が人と家財道具で埋め尽くされた状態であった。

そこに、隅田川対岸の火災の火が強風にあおられ、渦を巻いて飛んできたのだ。
あっという間に四方八方火に囲まれ、逃げるに逃げられず、ほぼ全員、
3万8000人が犠牲になった。その惨状は想像を絶する。

関東大震災は1923年。
東京大空襲は1945年。

そして今、この惨劇の現場は、
立て続けに起きた東京の大惨事の追悼記録として残っている。

横綱町公園

横綱町公園

 

東京都慰霊堂

東京都慰霊堂

東京都慰霊堂屋内

東京都慰霊堂屋内

関東大震災の悲劇を伝える東京都復興記念館

関東大震災の悲劇を伝える東京都復興記念館

関東大震災の火災で丸ビルの溶けた鉄骨

関東大震災の火災で丸ビルの溶けた鉄骨

言葉でホルモンバランス整えて、『なりたい自分』になる! amazon 第1位

弊社では、企画出版の本も少しずつ増やしております。

この3月に発刊した

『言葉でホルモンバランス整えて、「なりたい自分」になる!
―一瞬で緊張と不安が消える魔法のメソッド』(大嶋信頼著)もその中の1冊ですが、

現在、amazonで第1位となっています。
(ストレス・心の病気カテゴリ 2016年3月31日)

「ホルモンの分泌や抑制など、言葉でできるわけがない。薬でやることだ」と思っている人が多いかもしれない。
けれども、われわれは日常的に言葉で元気を出したり、緊張や不安を和らげたりしていないだでしょうか。自然にやっていることです。

試しに、「アドレナリンの分泌! アドレナリンの分泌!」と7回唱えてみたら、
本当に身体に力がみなぎってきた感じがします。
そこで著者は
「もし、ホルモンの名前を頭の中で7回唱えるだけでホルモンを分泌できたら」
と突拍子もないことを考えついたのです。

言葉とホルモンの関係を科学的に証明することは難しいかもしれないが、
「こういう言葉を唱えたら、こういうホルモンが分泌されて、こんな効果があった」という事例を考察し、立てられた仮説は非常に興味深いものです。

へー、こんなことってあるんだ!

という話が次々と出てくる本です。

http://tinyurl.com/hr6su6r

 

第19回日本自費出版文化賞の応募締め切り迫る!

第19回日本自費出版文化賞は、
昨年の11月1日から募集が開始されています。
3月上旬時点での文化賞登録数は268件で、
これは昨年同時点よりやや少ない数とのことです。
3月31日が応募締め切りです。
今年はチャンスかもしれません。

応募要項は下記をご覧ください。

http://www.jsjapan.net/jssyo.html

◇第19回日本自費出版文化賞日程◇

募集開始:2015年(平成27年)11月1日
締め切り:2016年(平成28年)3月31日
一次選考:2016年(平成28年)4月~6月
二次選考会:2016年7月 入選候補作品が決定
最終選考会:2016年9月7日(水) 入賞作品、大賞、入選作品が決定
表彰式:2016年10月8日(土)アルカディア市ヶ谷

アメリカで自費出版が増えている!

アメリカでは自費出版本の人気がじわじわと上がってきているようです。

その一番大きな理由は電子書籍の普及です。
amazon kindleのような電子出版を活用することで
個人で出版する(自費出版)の垣根が格段に下がり、
その中から売れる本が出てきたことで、
出版業界の中でも、そうした本の割合が高くなってきているのです。

アメリカでは、2012年の時点で、自費出版市場が
書籍市場全体の17%を超えていたとのことです。

日本では縦書きやルビなど言語的なハードルがあり、
アメリカほど電子書籍化が進んでいませんでしたが、
市場は一貫して伸びており、2014年度で1400億円を超えました。

それでも、まだ紙本の市場の約10分の1ですが、
早晩これが3分の1、2分の1という方向に進んでいくと思われます。
それと同時に、自費出版(個人出版)の割合も高まっていくのでしょう。

興味がおありでしたら、下記の記事もお読みください。

http://aoyamalife.co.jp/contents/theme01/theme03.php

国立国会図書館に行ってきた

先日、国立国会図書館(東京本館)に行ってきました。
出版社として本は送って(納本)おりますが、実際に足を運ぶのは、20年ぶりくらいでした。

国会図書館というのは、国が国民の財産である出版物を永く後世に伝えるために、国内で出版されたすべての出版物(プライベートなものは除く)を保管する役割を担った図書館です。東京本館の他に、関西館(京都)と国際子ども図書館(台東区上野公園)があります。

出版社は出版した(一般販売する)本は必ず国会図書館に納本する義務があります。

そういう図書館ですから、一般の図書館とは少し違います。
利用者の視点から見てどう違うのか、そこをレポートします。

まず場所ですが、東京都千代田区永田町1丁目、国会議事堂と最高裁判所、自民党本部の間にあります。まさに日本の中枢で、警備が物々しく、自民党本部の前を通った時、私などは、屈強そうな方たちににらみつけられ怖かったです。
いろいろな行き方があるので自民党本部の前を通らなくても大丈夫です。

入館するには利用者登録証が必要なので、初めての場合は、まず登録証の発行窓口に行くよう案内されます。ここで運転免許証や保険証などの本人確認書類を提示すれば、すぐに発行されます。
登録証にはIDとパスワードが登録されています。
パワードは入館後、検索の端末を使用する時に必要になります。

登録証を手にしたらすぐに入れるかというと、まだ準備が必要です。
手前のロッカー室に入り荷物などを入れます。
B5サイズ以上のものが入る不透明な鞄や袋の持ち込みが禁止されているので、鞄はロッカーに入れる必要があるからです。

筆記用具など必要なものは透明なビニール袋(ロッカー室にある)などに入れ、晴れて入館することになります。

入館してまず目に入るのは、広大な閲覧スペースと、パソコンの端末。
一般の図書館のように本が棚に並んではいません。
一部、辞典類などで閲覧できる本がありますが、ほとんどの本は倉庫の中にあるのです。
利用者は見たい本をパソコンの端末で探し出し、係の人にリクエストして持ってきてもらう、という形になります。1度に請求可能なのは図書3点、雑誌10点です。

本を受け取ったら、館内の閲覧室で読むか、有料の複写サービスでコピーしてもらいます。本を自宅に持ち帰ることはできません。

いろいろ制約がありますが、いいなと思ったのは、広大な閲覧スペースがあるところ。
この日も利用者はかなり多かったが、それでも席は余裕で余っており、1日、何の気兼ねもなく広々としたテーブルで読書や調べ物ができそうです。
ノートパソコンを持ち込んで作業できる席もあるので、資料を調べながら、じっくりものを書きたいとか、作業をしたいという時は、とてもよいと思いました。

引退したら、国会図書館通いをして、著書を量産なんてことを夢想しました。(笑)

 

千代田区永田町にある国立国会図書館

千代田区永田町にある国立国会図書館

国立国会図書館地下深くに広大な書庫がある。

国立国会図書館
地下深くに広大な書庫がある。

一昔前の定年は55歳だった!

11月17日の読売新聞夕刊「よみうり寸評」に、
大学入試で初めてセンター試験(当時は共通一次試験)
が導入された1979年に受験した世代が今年55歳だよね。
そして当時は55歳が定年だったよね、という話があった。

「そうなんだよね」と、自分がそうだから、
いろいろな意味で考えさせられた。

もうそんなに経ったのか、ひと昔前ならもう定年か、とか。

55歳で引退したら、あと35年(90まで生きるつもり)どうするの?

ひと昔前のことが今では考えられない気がする。

それだけ時間の経つのは速いし、
その速い流れの中で世の中は大きく変わっている。

ジョン・レノン没後35年

12月9日、テレビを見ていたら、ジョン・レノン没後35年のニュース。

そう、そう。35年前の1980年12月8日に、ジョン・レノンは凶弾に倒れたのだった。当時のことが鮮やかに、というより、夢か幻のように思い出された。

僕は学生で、バンド仲間と新宿の居酒屋で飲んでいた。ジョン・レノン、ジョン・レノンと、その死を悼みながら。

その年は、ちょうどジョン・レノンが5年にわたる子育て休暇的な沈黙を破って、「ダブル・ファンタジー」というアルバムを出して盛り上がっていたさなかだった。

ジョン・レノンは40歳、僕は20歳だった。

それから35年たったわけだ。

第6回無料出版キャンペーンの結果

すでにホームページで発表しておりますが、
第6回無料出版キャンペーンの結果をあらためてご報告します。

編集部による厳正なる審査の結果、書店流通賞は該当者なし、

amazon販売賞には、
東京都・小平信行様の「名作からのメッセージ―私の展覧会散歩―」
鹿児島県・原口策真様の「海が教える人類の危機」の2作品が当選。

電子出版賞は、
福島県・遠藤健治様の「ぼくはモナリザに恋はしない」が当選。

特別賞は、
三重県・平安名 尚様の「小説・具志頭親方・蔡温」が当選となりました。

応募作品全体を見ての感想ですが、
応募作品のレベルが年々上がってきていると感じました。

作品は当選しなかったものでも、実際はどれも甲乙付けがたいものでした。
そこから、あえて選ばなければならないのは、
弊社にとっては嬉しい悩みです。

いつか、そんなに遠くない時期に、
このキャンペーン当選作品からベストセラー、ロングセラーが
出るのではないか?
出るかもしれない。
きっと出る!

そう思うと、本当に楽しみです!

図書館に選ばれる本をめざそう

自費出版は限られた予算の中で行われるので大量発行は簡単でないのが現状です。
ただ1000部以下の少部数であっても、
価値の高い本は図書館に置かれる可能性が高くなります。

図書館も少ない予算の中で、いかに良質な
地域住民に喜ばれる本を揃えられるかを日々考えているのです。
決してベストセラーばかりを揃えているわけではありません。

たとえば地域の歴史・文化を詳細に調べた良質な本などは、
地域の図書館にとってなくてはならないものです。

たとえ少部数の自費出版であっても、
貴重なラインナップの1冊として大事に扱ってもらえます。

そんな本を地域に残すことができたら、
とても価値のある仕事をしたということになります。

田端文士村記念館に行ってきた

東京・山手線には29駅ありますが、乗降客のランキングを見ると、
新宿、渋谷、池袋、品川、東京というのがベスト5のようです。
で、下位のランキングは、25位の大塚から、田端、目白、新大久保ときて、
最下位は鶯谷とのことです。
この中で、私にまったく縁のないのが田端駅。
30年以上東京にいて、1度も降りた記憶がないので
先日、行ってみました。

田端など何もないのではと思いながら、
山手線を降りて、よく分からないまま南口を出たところ、
本当に何もなかったので驚がくしました。

いくらなんでも山手線の駅なのだから、
駅前には店の10軒、20軒はあると思っていたからです。
そこはいきなり崖上・高台の住宅街であり、
崖の下を山手線が走っていたので、その見晴らしのよさは
山手線駅前随一でしょう。
どうやら田端駅に沿って走る東北本線の西側が崖上、
東側が崖下という感じになっているようです。

気を取り直して北口に出ると、
アトレなどがありそれなりに賑やかでした。

すぐ目の前に『田端文士村記念館』がありました。
入場無料でした。

田端駅の西側(高台側)は明治から昭和初期にかけて、
多くの芸術家・文士が住み、文士・芸術家村の様相を呈していた。
それを記念して建てられた記念館とのことです。

パンフレットによると、
明治22年、上野公園の外れに東京美術学校(現東京芸術大学)が開校されたのがきっかけで、
その卒業生が同じ台地続きで便のよい田端に住んで活動するようになった。
そのうち直木三十五らの文士も集まり出し、
大正3年に芥川龍之介が転入してくると、室生犀星、林芙美子、
サトウハチロー、菊池寛、萩原朔太郎らの文人が多く移り住み、
『文士村』という状況になった、とのこと。

記念館には芥川龍之介や室生犀星らの自筆原稿など、
非常に興味深い資料が展示されていました。
芥川の手書き原稿を見ましたが、案外さらっと書いている。
推敲に推敲を重ねたという感じではないと思いました。

それより驚いたのは、ジオラマで見た芥川の晩年の住まい。
部屋が10ほどある屋敷で、先般見た漱石の家よりずっと立派でした。

芥川はこの家の2階の書斎で「唯ぼんやりとした不安」という言葉を残して、
かわいい盛りの幼い3人の子どもを残して、昭和2年に自死しました。
いまさらながら、なぜ? と思わずにいられません。

文学好きの方は行く価値がある記念館です。

田端文士村記念館

田端駅前にある田端文士村記念館

第19回日本自費出版文化賞

第19回日本自費出版文化賞は、以下の日程で開催されます。

◇日程◇

募集開始:2015年(平成27年)11月1日
締め切り:2016年(平成28年)3月31日
一次選考:2016年(平成28年)4月~6月
二次選考会:2016年7月 入選候補作品が決定
最終選考会:2016年9月7日(水) 入賞作品、大賞、入選作品が決定
表彰式:2016年10月8日(土) 予定

◇応募資格◇

制作費用の全額または一部を著者(個人・団体)が負担し、
日本国内で過去10年以内に出版され、
主として日本語で書かれた一般書で、製本された著書が対象。
著者の国籍は問いません。
一般書とは、一般の人が理解できる内容の書籍を指します。

◇申込先、応募著書・応募用紙送り先◇

郵便番号 103-0001
東京都中央区日本橋小伝馬町7-16 日本自費出版文化賞事務局
電 話:03-5623-5411
FAX:03-5623-5473
インターネット:http://www.jsjapan.net/

◇ 賞状および賞金、賞品◇

・大賞:賞状ならびに賞金20万円(1点)
・部門賞:賞状ならびに賞金5万円(各部門1点)
・特別賞:(各部門1点 協賛各社賞ほか)賞状ならびに記念品
・入選:賞状(各部門10点程度)

 

第18回自費出版文化賞表彰式

第18回自費出版文化賞表彰式は2015年10月10日に行われた

 

新宿区『漱石山房』記念館、建設中

新宿区では2017年2月の開館をめざして、
『漱石山房』記念館(仮称)を建設中である。

なぜ、この情報を知ったかというと、
行ったことのないところをぶらぶら歩くということを
休みの日などによくやっていて、突き当たったのである。

その日は、飯田橋駅で降り、早稲田通りを神楽坂に向かって
歩いて行った。神楽坂上まで上り、交差点を越えてさらに行くと、
東西線の神楽坂駅にいたる。
駅の西側の信号を左折すると矢来町となり新潮社の社屋があった。
昭和30年代を感じさせる、
私にとってはノスタルジックな重厚感のある建物である。
ここから数々の文学作品が生み出されてきたのだなと思いながら通り過ぎた。
矢来町と新潮社を見てみたかったのである。

さて、次はどこへ行こうか?
スマホの地図を見ると、早稲田方面に『漱石公園』の表示がある。
これは行かねばと、細い通りを早稲田に向かって歩いた。

10分ほど歩いたろうか。
漱石公園は入口に漱石の胸像があるのですぐにわかった。
左手に工事中の建物があった。
小さな事務所に入ってみるとボランティアのおじさんが、
「まさに、この場所に漱石山房があったんですよ」と教えてくれた。

漱石に関するとても充実した資料をいただいた。
さすがに地元だけあって、見たこともない、
漱石の子どもの頃、学生時代の写真などが豊富に載っている冊子である。

https://www.google.co.jp/maps/@35.703772,139.7257798,18z

『三四郎』『こころ』『道草』など、
その代表作はほとんどここ(現早稲田南町7番地)で書かれた。

ここにあった8畳が4部屋に、子ども部屋、女中部屋と台所の借家に、
内田百閒、芥川龍之介、寺田寅彦、森田草平、
鈴木三重吉らの文人が木曜日になるとやってきて、
文学を語ったりしていた。
この漱石が最晩年を過ごした漱石山房を再現し、
資料などを展示した「漱石山房記念館」をいま建設中なのだ。

漱石は生まれたのもこの近くの喜久井町なので、
新宿区で生まれ、新宿区で亡くなったことになる。
新宿区としてはまさに地元の作家が国民作家ということで、
このような記念館を建てたくなる気持ちもよくわかる。

漱石は生まれてすぐに四谷の古道具屋に里子に出され、
すぐに戻されたが、またすぐ塩原という夫婦に養子に出された。
けれども漱石が8歳の頃、この夫婦が離婚したので、
夏目家に戻された。
6人兄弟の末っ子で、両親もすでに高齢であって、
余計者扱いされたという。

そういえば漱石の小品の中に幼少期の思い出を書いたものがあり、
実の母親が少しだけ愛情を見せてくれた言葉を
うっすらと記憶しているというくだりを読んで、
ああ、と思ったことがある。

そういうちょっとした少ない愛情、薄いけど確かに感じた愛情
に頼って、心の支えにしていたような気がしたからだ。

どうみてもかわいそうに思える幼少期だが、
こういう環境のどこに、
あのような巨大な才能をはぐくむものがあったのかと思う。

夏目坂の方にも足を伸ばし、印象に残る散歩であった。

漱石公園

漱石公園